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アメリカ合衆国のポートレート - 第4章「国民のための政府」

 
三権分立と民主主義過程 

建国初期のアメリカ人の生活様式は、民主主義を奨励するものであった。人々は、森林と荒野の土地に入植し、皆が力を合わせて家を建て、食糧を供給し、農地や住居を作るために土地を開墾しなければならなかった。このような協力が不可欠であったことが、「新世界」では人は皆平等であり誰も特権を持っていないのだという信念を強固にしたのである。

そのような平等への強い衝動は、最初の植民地13邦と母国イギリスとの関係に影響を及ぼした。1776年のアメリカ独立宣言は、人は皆生まれながらにして平等であり、「生命、自由、そして幸福の追求」に対して権利を持つことを宣言した。

独立宣言とその後に制定された合衆国憲法は、アメリカの植民地体験と、英国のジョン・ロック等の哲学者の政治的思想を融合し、民主共和制の概念を打ち立てた。政府は人民から権限を付託され、選挙で選ばれた代議員を通じてその権限を行使する。アメリカ独立戦争中、各植民地は英国に対して連合戦線を張るために全国連合会議を形成した。独立戦争後は、「連合規約」により、連合会議では個々の州の処理能力を超える問題だけが扱われるようになった。

 

アメリカ合衆国憲法

連合規約は、各州の協力が期待どおりに得られなかったため、合衆国の統治文書としては失敗に終わった。アメリカ兵士の賃金やフランスへの戦債の支払いの時期がくると、それを拒否する州もあった。こうした弱点を改善するため、連合会議は各州に代議員の派遣を要請し、1787年5月にフィラデルフィアで憲法制定会議が開催された。議長を務めたのは、ジョージ・ワシントンであった。

代議員は、強力な中央政府を求める派とそれに反対する派の間の均衡をはかり、結論として、権限の一部を国家政府(連邦政府)に与え、その他を各州に与える憲法が制定された。この憲法は、連邦政府を、立法部(上院と下院から成る議会)、行政部(大統領を頂点とする)、そして司法部(連邦裁判所)の3部門に分けている。これは「三権分立」と言われ、各部門に一定の義務を付与すると共に実質的に相互の独立性を与えるものである。また「抑制と均衡」の制度を通じて、各部門には他部門に対してある程度の権限が与えられた。

抑制と均衡の具体例には、次のようなものがある。

● 大統領は、議会を通過した法案でも望ましくないと思えば、その成立を拒否することができる。すなわち、大統領が拒否した法案は、上下両院それぞれの3分の2以上の賛成票が得られない限り、無効となる。

● 議会を通過し、大統領が署名した法律が、違憲として連邦裁判所で異議申立された場合、連邦裁判所はその法律を無効とすることができる。(ただし連邦裁判所は勧告的意見あるいは理論的意見を発表することはできない。連邦裁判所の裁判権は実際の紛争に限定される。)

● 大統領は他国と条約を結ぶ権限、および判事等の連邦政府職の任命権を持つが、条約も任命も、上院の承認を得て初めて効力を持つ。

最近は、三権分立制度の弱点として、抑制と均衡の過剰により政府が膠着状態に陥る傾向があることを指摘する意見もある。

 

権利章典

1787年にフィラデルフィアで作成された合衆国憲法は、アメリカ13州のうち少なくとも9州で住民の過半数による承認を得なければ効力を持てなかった。憲法の条文に個人の権利の保障が明示されていなかったため、この承認過程で、多くの市民が不安を抱くことになった。これに対応して10カ条の修正が憲法に付加され、これが権利章典と言われるものになった。

権利章典は、アメリカ国民に言論、信教、出版の自由を保証し、また公共の場所で集会し、政府の行動に抗議し、変更を要求する権利を与えた。国民は武器を所有する権利も付与された。権利章典は、警察官や兵士が正当な理由なくして個人を呼びとめ身体検査をすることを禁じ、また裁判所の許可なく個人の住居を捜索することを禁じている。権利章典は、犯罪で起訴された個人に対し迅速な裁判を保証する。さらに、審理は要請があれば陪審により行われ、被告人は弁護士を代理人として立てたり証人を立てることが許されている。残酷かつ異常な刑罰は科してはならない。このような権利章典を付加した憲法は、全13州により承認され、1789年に発効した。

その後、17ヵ条の修正条項が憲法に付加された。その中で最も重要な条項は、奴隷制度を違法とする修正第13条、法のもとにすべての市民を平等に保護する第14条、および女性に選挙権を与えた第19条である。

憲法を修正するには、次に述べる2つの方法がある。連邦議会の各議院の3分の2以上の支持票を得れば修正案を提出することができる。あるいは、全州のうち3分の2の議会が要求すれば修正発議のための代表者会議を開くことができる。(ただし、この2番目の方法は実際に使われたことはない)。いずれの場合も、修正は全州の4分の3により承認されなければ、効力を発しない。

 

立法府

合衆国政府の立法府、すなわち連邦議会は、全米50の各州から選出された代表者により構成される。合衆国政府の中で、連邦法の制定、連邦税の徴収、戦争の宣言、および条約の批准ができるのは、立法府だけである。

下院議員の任期は2年である。議員は各自の州の選挙区を代表し、選挙区数は10年ごとの国勢調査に基づいて決められる。各州の議員数は人口に比例し、なかには議員1名という州もある。下院議員の総数は435名である。

上院議員の任期は6年である。人口に関係なく各州2名ずつが選出され、議員の3分の1が2年ごとに改選される。上院議員の総数は100名である。

法案は上下両院で可決された後に、法律となる。上院または下院に提出された法案は、1つ以上の委員会で検討され、修正され、可決された後に上院または下院の本議会で討議される。上院か下院の一方で可決された法案は、他方に送られ審議される。同一法案について上院と下院とで異なる内容のものが可決された場合は、「両院協議会」で調整を図る。法案を推進するため、あるいは阻止するために議員に働きかける人たちのことを「ロビイスト」というが、彼らは立法過程のほぼ全段階でその影響力を行使することができる。同一の法案が上下両院で可決されると、それは大統領に送付され、その承認を得て法律となる。

 

行政府

アメリカ合衆国の最高責任者は、大統領である。大統領は副大統領と共に4年の任期で選出される。1951年発効の憲法修正条項により、大統領は2回を超えて選出されてはならないとされている。副大統領は、大統領が死亡した場合または職務遂行不能となった場合に大統領を継承するが、それ以外には、上院議長を務めるのが唯一の公式職務である。また副大統領は、上院の票決が同数となった場合に決着をつけるためだけに投票することができる。

大統領は幅広い権力を持つが、その権力は無限ではない。大統領は、国家政策の立案者として法案を議会に提出する。前述のように、大統領は、議会が可決した法案を拒否することができる。また、大統領は軍の最高司令官である。大統領は、最高裁判事をはじめ連邦裁判所の判事職に空席ができた場合、判事を任命することができる。さらに自党の党首であり、マスコミに多大なアクセスを持つ大統領は、容易に世論に影響を及ぼすことができる。

行政府内で、大統領は規制・訓令を発令し、連邦政府の各省庁の業務を遂行する広範な権限を持つ。大統領は、各省庁の長官および高官を任命する。「長官」と呼ばれる主な省庁の長は、大統領顧問委員会の一員であるが、連邦政府職員の大半は、政治的な任命ではなく、能力にに基づいて採用される。

 

司法府

司法府の頂点にある連邦最高裁判所は、憲法に基づいて設けられた唯一の裁判所である。このほかに連邦控訴裁判所が13、その下に約95の連邦地方裁判所があるが、これらは議会により設けられた。最高裁判所はワシントンDCにあるが、その他の連邦裁判所はアメリカ各地に散在している。連邦裁判所の判事は任命制で、その任期は終身あるいは自主退官するまで継続する。連邦裁判所の判事を退官させるためには、弾劾および議会での審理という困難な過程を経なければならない。

連邦裁判所は、憲法や連邦法や条約に基づく事件、海事事件、外国人または外国政府に関わる事件、および連邦政府自体が当事者である事件を審理する。

連邦最高裁判所は、長官と8名の判事で構成される。最高裁判所が扱う審理は、ほとんどが連邦または州の下級裁判所からの上訴審である。その大半は、行政府の措置や連邦議会または州議会が可決した法律の解釈と合憲性を巡る紛争である(連邦法と同様に、州法も憲法に沿ったものでなければならない)。

 

最終審裁判所

連邦政府の3部門は同等の権力を持つとされているが、連邦最高裁判所が最終決定権を持つ場合が多い。裁判所は法律を違憲と判定することができ、無効とすることができる。こうした判決の大半は上訴に持ち込まれ、最高裁判所が憲法の解釈を巡って最終的な判断を下す。重要な訴訟については、たいていの場合、最高裁判所判事の意見の抜粋が新聞に掲載されるので、最高裁判所の決定は広く国民の間で議論される。これはあるべき姿である。最高裁判所の決定は、長期にわたる論争に決着をつけ、当座の結果をはるかに超える社会的影響を及ぼすことがある。その例として、有名な、プレッシー対ファーガソン事件(1896年)およびブラウン対トピカ教育委員会事件(1954年)という2つの関連した訴訟事件の判決が挙げられる。

プレッシー事件では、旅客列車で黒人と白人を分離して別の車両に乗るよう強制することができるかどうかが争点であった。最高裁判所は、「分離すれど平等」という主義に基づき、この慣行を支持した。この訴訟事件は、最高裁判所が修正第13条および14条を狭義に解釈していること、また黒人と白人を区別して扱う広範に用いられている法律や慣習がそのままにされるだろうという信号を発した。ひとり、ジョン・マーシャル・ハーラン判事が、「憲法は色の区別ができない」ことを主張して、その判決に同意しなかった。

それからほぼ60年後、連邦最高裁判所は法理を変更した。1954年のブラウン事件では、公立学校の意図的な人種分離は、憲法修正第14条にいう法の平等な保護に違反するとの判決が下された。最高裁判所は直接プレッシー判決を覆しはしなかったが、ハーラン判事の憲法解釈の正当性が立証された。ブラウン判決は、カンザス州トピカ市内の学校にのみ適用されるものだったが、判決に述べられた原則は全国の公立学校に影響を及ぼした。のみならず、この判例は政府のあらゆる措置において人種分離の基盤を揺るがし、すべての国民を等しくに扱うという新たな方向を全国に知らしめた。

ブラウン判決は、特にアメリカ南部をはじめ一部の国民にショックを与えたが、徐々に法律として受け入れられるようになった。しかし、論議を呼び起こした最高裁判所の他の判決の中には、ブラウン判決のように広くは受け入れられなかったものもある。例えば、1962年から85年までの間に起こったいくつかの事件において、最高裁判所は公立学校で生徒にお祈りを強いることは違憲であるとの判決を下した。しかし反対派は、公立学校からお祈りを排除したことがアメリカのモラルの低下を招いたと信じ、憲法に違反することなく学校でのお祈りを復活させる方法を探している。また最高裁判所は、1973年のロー対ウェイド事件で、特定の状況下における妊娠中絶権を女性に与える判決を下したが、妊娠中絶を殺人行為と見なす人たちもいて、彼らは今なおこの判決を快く思っていない。ロー対ウェイドの判決は、憲法の解釈に基づいているため、反対派は憲法を修正することによって判決を覆そうとしている。

 

政党と選挙

アメリカ国民は、選挙で投票し、政党に入党し、選挙運動に参加することにより、民主主義における国民の権利を行使している。現在、アメリカには民主党と共和党の2大政党がある。民主党は、1800年以前に結成されたトーマス・ジェファソンの政党を起源とする。共和党は、1850年代に、当時合衆国に新たに加えられていた各州に奴隷制度が広がることに反対したアブラハム・リンカーン等により結成された。

民主党はどちらかというとリベラルであり、共和党は保守的であると見なされている。一般的に民主党の考え方は、援助を必要とする人たちのために社会福祉・生活保護制度を確立するのは、政府の義務であるとする。 一方、共和党は、必ずしもそれらの制度に反対するわけではないが、納税者への負担が大きすぎると考える。共和党は、民間部門が強力であれば国民が政府にそれほど依存する必要がなくなるという信念の下に、民間事業の奨励を強調する。

民主党・共和党共に、国民の支持層は多岐にわたり、党の政治観も多様である。同じ党の党員や選出された公職者の間でさえも、必ずしもすべての争点で意見が一致するとは限らない。アメリカ国民は、政党に所属しなくても投票したり選挙に立候補することができるが、政党の資金や運動員の支援なくして立候補することは難しい。

アメリカでは、一般に第3党と言われている少数政党が形成されることもあるが、第3党の候補者が当選することはほとんどない。しかし少数政党は、国民の関心事でありながら政治の討論の場で無視されてきた問題に注意を喚起する役割を果たすことが多い。この場合、2大政党のいずれか、あるいは両方がその問題を取り上げるため、第3党は消滅する。

全国選挙は、2年ごとに偶数年の11月最初の月曜日の翌日にあたる最初の火曜日に行われる。州や地方政府の選挙は、全国選挙と同時に行われることが多いが、別の年や月に行われる場合もある。

アメリカ国民は、政治にどの程度関与するかを、それぞれ自由に決めることができる。大多数の市民が、候補者の選挙運動にボランティアとして参加したり、特定の主義主張を推進したり、あるいは自ら公職に立候補して活発に政治に関わる。一方、投票日に1票を投じることで政治に参加し、あとは民主主義制度の作用に任せて個人の自由が保護されていることを確信する国民も多い。


出典:Portrait of the USA

*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

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