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映画

映画は米国が発明したものではない。それでも映画で米国は世界の娯楽に卓抜な貢献を果たしてきた。1900年代初頭、映画がまだ誕生したばかりの頃、多くの移民達は映画産業に職を得た。主だった映画スタジオは、カリフォルニア州ロスアンジェルスのハリウッド地区にあった。

1930年代から1940年代にかけてのいわゆるハリウッド黄金時代、映画スタジオは、1年間におよそ計400本の映画を製作し、1週間に9000万人の米国人が楽しんだ。

スタジオ製作のシステムは、1940年代末頃には2つの力に屈してしまった:(1)映画の製作と上映を分離する連邦反トラスト訴訟、(2)テレビの出現がそれである。ハリウッドは、観客がテレビでは味わえないスペクタクル映画を提供しようとしたため、平均的な製作予算は膨れ上がり、映画の製作本数は急減した。

1960年代後半から1970年代終わりまで、米国の映画産業は強烈な映画再生を経験した。この再生が起きた原因のひとつは、反体制文化の
出現により、ハリウッドはもはやどんな映画が利益をもたらし、1960年代に成人を迎えた新たな若い観客層が何を求めているのか、確信が持てなくなったことである。

過去15年間に製作された映画は、大半はハリウッドが資金を投じたものだが、極めて型破りで、米国の映画制作の多様性を立証している。この多様性という折衷主義をもたらした重要な理由のひとつは、前衛的な映画の製作、配給を専門とするソニーピクチャーズクラシックスやドリームワークスといった小規模の半独立系映画スタジオの影響があげられる。

従って、米国の映画は一方では紛れもなく商業行為であるにもかかわらず、利益追求の欲求と、独創的で挑発的な作品を創りたいという願望の間に、なんら矛盾は存在しない。

 
–米国務省国際情報プログラム局出版物と米政府出版物から要約–

 

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