国務省出版物
スナップショットUSA – 有名な人物、有名な場所 ― 米国の簡単ガイドツアー
米国人の暮らしは50州のどこも似たような面が多いのだが、地域の違いに注目すれば、この広大な国の複雑さがわかるかもしれない。国務省の電子ジャーナルを担当している外交官リチャード・ハッカビーが各地域とその違いについて1つの見方を紹介する。この記事はハッカビーがフランスと韓国とコソボで講演した話から引用した。
すべての米国人が「一枚岩」の文化に融けこんで、考え方も食べ方も話し方も画一的になっているのに、今さら米国の地 域的違いについて話すのは意味がないという考え方もある。確かに、米国でマクドナルドやバーガーキングやピザハッ トが食べられない所はほとんどない。どこに住んでいても、ショッピング・モールのウォルマートやギャップやフットロッ カーで、さほど違いのない商品を買うことができる。しかし、だからといって地域的特徴は昔の神話になってしまったとい えるだろうか。わたしはそうは思わない。
根強い地方文化
まずは食べ物の話から。米国全土で標準化された食べ物が多いのは事 実だ。どこへ行っても同じブランドの冷凍ピザが買える。アラスカからフ ロリダまで、シリアルやキャンディ・バーなどの食品が同じパッケージで 売られている。果物や野菜の種類や品質も、州によってそれほど変わり はない。だが、マサチューセッツやイリノイでハッシュパピー(油で揚げ たコーンブレッドのようなもの)やグリッド(挽いたトウモロコシの粉を ゆでて調理したもの)を出されることは珍しいが、ジョージアなどの南部 では普通の食べ物だ。コカコーラやペプシコーラやセブンアップはどこ でも手に入るが、南カリフォルニア以外でブレンハイム・ジンジャーエー ルを見つけるのは不可能に近い。シカゴのピザ(深皿で焼いた皮の厚いピ ザ)はニューヨークのピザとはまるで違う。わたしはニューオーリンズで ワニ肉の料理を食べたが、米国のほかの地方ではお目にかかったことが ない。どこの地方でもタコベルのチェーン店でメキシコ料理が食べられ るが、テキサスのテクス・メクスはいわゆるメキシコ料理とは大違い。そ の土地独特のホットドッグがあるところも多い。
ボキャブラリーも地域によって違う。大学時代、 わたしがほかの地方から来た友だちにレンジの「目 (eye)」が働かないと言ったら、まったく通じなかっ たことがある。彼はそれを「バーナー」と呼んでいた。西部の言葉にはスペイン語がたくさん混じっていて、その多くは全国 に普及している。また中西部の一部やペンシルベニア州ではまだ多くのドイツ語が使われている。1985年の映画「刑事ジョ ン・ブック――目撃者」を見ると、そうした例に出会う。
もう1つの違いは言葉である。米国英語が標準的に使われてはいるものの、話し方は米国のどこにいるかによって違う。南部人はゆったりした話し方になりがちで、母音を延ばすその特徴は「サザン・ドロール」と呼ばれる。中西部の人たちはaを「フラット」に発音し、ニューヨークではユダヤ人の多さを反映して、schlepp(引きずる)やnosh(スナック)などイディッシュがいくつか入り込んでいるという特徴がある。ボストン生まれやブロンクス育ちは特徴のあるアクセントですぐにわかるし、「バリー・トーク」という南カリフォルニアで始まったティーンエイジャーのスラングやしゃべり方を知っている人も多いだろう。場所の名前や、特定の民族グループが集まって住んでいる地域で使われる言葉には、移民の影響がはっきりと表れているのがわかる。ウィスコンシン州のラファイエット郡、ルイジアナ州のバトンルージュ、サウスダコタ州のウーンデッドニー、カリフォルニア州のサンタクルーズがその例だ。
ボキャブラリーも地域によって違う。大学時代、 わたしがほかの地方から来た友だちにレンジの「目 (eye)」が働かないと言ったら、まったく通じなかっ たことがある。彼はそれを「バーナー」と呼んでいた。西部の言葉にはスペイン語がたくさん混じっていて、その多くは全国 に普及している。また中西部の一部やペンシルベニア州ではまだ多くのドイツ語が使われている。1985年の映画「刑事ジョ ン・ブック――目撃者」を見ると、そうした例に出会う。
地域による違いは、それほど明確ではなくても物の考え方や見方などにも表れる。例えば、外国の出来事に対する注目度 だ。大西洋に面している東部では、ヨーロッパや中東やアフリカで起きていることに関心を寄せる新聞が目立つ。西海岸で は、アジアやオーストラリアの事件に焦点を合わせることが多い。
プライバシーの尊重や個人主義、個人の自立の重視といった考え方も含めて、米国人に共通する特徴は多い。しかし多く の米国人は、ニューイングランドなら独立独行、南 部なら親切なもてなし、中西部なら健康志向、そし て西部なら気さくさ、といったように、気風にも地 域性があると考えている。
次のセクションでは、例えば定住パターンなど、こうした地域の違いをつくり出した地理的特徴や歴史的影響をかいつまんで紹介する。
だが、各地域に焦点を当てる前に、米国全体の特徴をつかんでおくべきだろう。米国は、国土面積ではロシア、カナダに次いで世界第3位、人口でも中国、インドに次ぐ世界第3位を占める。どのくらい大きいかというと、端から端まで横断するのに車で5日間かかるくらい大きい。それも、ハワイと一番広い州であるアラスカを入れないでの話だ
地域について
米国を地域に区分けする方法はいろいろある。ここでは、ニューイングランド、大西洋岸中部、南部、中西部、西部という、昔からの基本的区分を採用した。これは公式の区分ではないことを念頭に置いていただきたい。下の地図でもわかるよう に、この区分は完全とは程遠く、特徴といっても隣の地域と混じり合っていることが多い。都市と文学者のリストは決して 十分とはいえないが、ここでは簡単な紹介にとどめる。今号の最後に掲載したインターネットのリンク・リストを参照し、各 サイトにアクセスすればもっと詳しい情報が得られる。
多くの米国人、1つの米国
最初に述べたように、米国は大きな国である。地理的に変化に富んでいるのは言うまでもない。ニューイングランドや北 西部の岩の多い海岸、南東部やカリフォルニア、ハワイの砂浜、両海岸の近くに横たわる山脈、国の中央部に広がる平 原、南西部の広大な砂漠、アラスカの凍土帯、ハワイの火山島。それぞれの地域に独特の個性があるのは、そうした地理的理 由によるものであり、また、さまざまな人々がさまざまに異なる条件の下で400年余りの間そこに住んできたからである。
国土は広大で、地域は多様性に富んでいるものの、自分たちを「米国人」と呼ぶ人々の間には相違点より類似点のほうが多 いことを忘れてはならない。結局のところ、この国の硬貨には「E pluribus unum(多数からできた1つ)」というモットーが 刻まれており、それこそ米国人が真剣に受け止めている理想なのだ。
「ほかの国ではたいてい、その国の国民であると確認するのに、すべて両親が誰かとか、どこの地方で育ったかということ と関係づけて考えられる」とテキサス選出の上院議員ケイ・ベイリー・ハチソンは最近の講演で述べている。「真の米国人であ るということは、どこの出身かということより、何を信じているかということと関係がある。移民が市民権を得るときには、 ほかのすべての米国人と同じ権利と自由が与えられる。親が米国人でなくても関係ない。独立戦争で血を流した祖先を見つ けるために、はるか昔まで家系をさかのぼることができなくても問題ではない。米国人であることに必要なカギは、いくつ かの基本的信念、例えば自己統治の価値観、言論の自由や信教の自由の権利、といった信念を共有することである」
*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。