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早わかり「米国の選挙」- 大統領候補指名

大統領候補を指名するための政党内の規則は、米国憲法に明記されていない。前にも述べたように、憲法が起草され批准された1700年代後半には、政党はまだ存在せず、建国者たちはそのような実体のないものに関心を払わなかった。

1796年初め、当時のある政党に所属していた連邦議会議員が非公式に集まり、自党の正副大統領候補者を指名した。このような党公認候補の選出方法は「キング・コーカス」と呼ばれ、30年近く続いた。米国の西方拡張に伴う政治権力の分散化により、1824年、この方式は終焉した。

最終的にキング・コーカスにとって代わった党候補の選出方法は、大統領候補を指名する党全国大会である。1831年、少数政党のフリーメーソン反対党がメリーランド州ボルティモア市内の酒場で候補者を選ぶ集会を開き、公約となる政策綱領を起草した。翌年には、同じ場所で民主党が集会を開き、自分たちの公認候補者を選出した。それ以来、大政党も小政党のほとんども、州の代議員が参加する全国大会を開き、そこで正副大統領候補を指名し、政策提言を承認するようになった。

今日では、共に18世紀から19世紀にかけて存在した前身政党を受け継ぐ共和党と民主党が、政治プロセスの優位を占める。ときに例外はあるものの、大統領職、連邦議会、知事職、州議会は、この2大政党に支配されている。例えば、1852年以後の大統領はすべて共和党員か民主党員であり、第2次大戦後に行われた大統領選挙の一般投票では、平均して95パーセント近い票を2大政党で分け合っている。全米50州で、民主党員でも共和党員でもない知事が選ばれることはめったにない。また連邦議会でも州議会でも、無所属や第3政党の議員数はきわめて少ない。

テレビの出現

19世紀全般および20世紀初期までの大統領候補指名党大会は、熱心な党員が大勢出席していたにもかかわらず、各州の党幹部によって牛耳られていた。こうした政治的「ボス」はその影響力を利用して、自分たちに都合のいい州代議員を選び、全国大会で「間違いのないように」投票することを確認していた。党幹部に反対する人びとは改革を要求して、一般の有権者に代議員を選ばせようとした。予備選挙は、まさにこの方式を実行するために生まれたのである。1916年には、半数以上の州で大統領選挙の予備選が行われるようになった。

とはいえ、そうした動きは長く続かなかった。第1次大戦後、予備選挙が自分たちの権力の脅威となると知った党幹部は、州議会を説得して、費用がかかること、参加者が比較的少数であることを理由に、予備選を廃止させた。1936年には、大統領候補指名大会を続けている州はわずか12州のみとなった。

しかし、民主化を迫る圧力は第2次大戦後に再浮上する。まず、テレビという媒体を通じて、一般市民が家庭にいながら政治キャンペーンを見聞きすることが可能になった。また、大統領選の有望な候補者は、テレビへの露出を利用して、大衆に訴える力を実証することができた。その後数十年間で、大統領候補指名大会の参加者を拡大しようとする民主化改革が再び活性化した。

その結果、現在ではほとんどの州が予備選挙を実施している。やり方は州の法律によって違いがあり、予備選の投票者が、党の大統領候補者とその候補を支持すると「誓約した」代議員のグループに投票する方法、大統領候補に直接投票し、あとでその得票数に応じて代議員が選ばれる方法、あるいは党員集会で、特定候補者に投票すると「誓約した」代議員を選ぶことで間接的に候補者に投票する方法に分かれる。党員集会方式では、比較的小さな選挙区(地元の投票区)に住む党支持者が集まり、特定の大統領候補者を支持すると誓った代議員に投票する。次に、これらの代議員は自分の選挙区を代表して郡の党大会に出席する。この郡の党大会で、連邦議会の下院選挙区および州レベルの党大会に出席する代議員が選ばれる。最終的には、これら一連の大会に送られる代議員たちが、全国大会で州を代表する代議員を選ぶ。この方式は数ヵ月かけて実施されるが、候補者選定は、基本的には1回目の投票で決まる。

実際に各州から党の全国大会へ送り出される代議員数は、州の人口や過去の公認候補者に対する支持の実績、その州から選挙で選ばれた公職者および現在公職に就いている党幹部の数などを考慮に入れて、それぞれの政党が定めた方式に基づいて決められる。民主党の割り当て計算式によると、全国大会の代議員数は共和党の約2倍になる。

第2次大戦以降、こうした改革への気運が盛り上がったことにより、顕著になった重要な傾向が2つある。第1に、予備選や党員集会の時期を早め、指名争いの決め手となるシーズン初期の段階へ移す州が多くなった。この傾向は「前倒し」として知られる。早い段階で行われる予備選や党員集会は、最終的指名により大きな影響を与える可能性がある。その上、候補者たちは、党の指名争いで早いうちに決定的な心理的勝利を収めるために、その州の要望と関心にいち早く注目し、州内で運動を組織して、スタッフやメディアやホテルなどに資金を使おうとするだろう。

さらには、一部の地域で、複数の州が協同して「地域的予備選挙」を組織し、同じ日に予備選や党員集会を行うことで、その地域の影響力を最大限に引き出そうとするようになった。

このような2つの傾向によって、早い段階で指名争いを実施する州が増えており、候補者はその州で足場を固めるために、早くから選挙運動を始めざるを得なくなっている。また、同日に予備選を行う複数の州の有権者に接触するために、ますますマスメディア(ラジオ、テレビ、インターネット)に依存し、州の党幹部の支持を取り付けなければならなくなった。

党大会の衰退

大統領候補の指名プロセスが変化した結果、政党のクライマックスを飾りテレビ放映される全国大会の重要性が低下した。今日では、党公認の大統領候補者は、予備選過程の比較的早い段階で事実上決まってしまう。それどころか、最終的指名を受ける候補者が、全国大会の前に副大統領候補の名前を発表することさえある。(副大統領候補は単独では予備選挙に立候補せず、党の指名を勝ち取った候補者によって選ばれる。)

このように、大統領候補指名のプロセスは今も少しずつ変化を遂げている。過去数十年間の変化によって、予備選参加者の拡大、人口統計的代議制の改善、平均的な党支持者と候補者とのつながりの強化がもたらされた。現行制度では、知名度が高く、資金調達力があり、効率的な選挙組織を持ち、予備選期間の早いうちに有権者の熱狂的関心を呼べる候補者が有利となる。

インターネットへの接続

候補者とその支持者は、選挙運動の手段として、いち早くインターネットを採り入れてきた。潜在的支持者に資金を募り、自分の政策と経験を売り込むのに、インターネットが効果的かつ効率的な手段であることは証明済みである。今では選挙運動組織が独自のブログを持っている。こうしたサイトのブロガーたちは有給の選挙スタッフで、特定候補者のメッセージや活動について書き込む。一方、党派に属さない数千のブロガーは、自分の支持する候補者のためにコメントを書き、反対意見を持つ他のブロガーとの討論に参加する。

YouTubeなどの動画共有サイトは、政治的キャンペーンにとって好機にも落とし穴にもなっている。候補者たちは、こうした技術を活用して、時にはユーモアたっぷりに自分を演出したビデオを製作してきた。また、無防備でいる瞬間に、一般の視聴者の前では決してしないような言動を記録されることもある。インターネットやテレビには、そうした候補者の失策が数え切れないほど、絶えず流されている。


*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

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