国務省出版物
早わかり「米国の選挙」- 政党の役割
共和国としての米国の建国者たちが、1787年に米国憲法を起草・承認したときには、政党の役割は考慮されていなかった。それどころか建国者たちは、例えば行政、立法、司法の権力の分立、連邦主義、選挙人団(下記参照)を通じた大統領の間接選挙など、憲法にさまざまな取り決めを盛り込み、新しい共和国を政党や党派から切り離そうとした。
そうした建国者たちの意図にもかかわらず、米国は1800年、世界で初めて、全国規模で組織された初期の政党を発展させ、選挙を通じて党派から党派へ行政権力を移譲する国家となった。その後の政党の発展と拡大は、選挙権の広がりと密接につながっている。建国初期の選挙では、財産を持つ男性しか投票できなかったが、そうした制限は、移民の増加や都市の発展、国の西方への拡大などの民主化圧力の増大により、19世紀初めには徐々に撤廃され始めた。数十年間で財産所有、人種、性別による制限が取り除かれ、かつてないほど多くの成人が選挙権を獲得した。選挙民の増加に伴い、政党は、政治的支配の手段として有権者を大量動員するようになった。政党が制度化されたのは、この重要な作業を成し遂げるためである。このように、米国の政党は民主主義の拡大の一環として出現し、1830年代初めには確固たる地歩を築き、強大な力を持つようになった。
今日では、共に18世紀から19世紀にかけて存在した前身政党を受け継ぐ共和党と民主党が、政治プロセスの優位を占める。ときに例外はあるものの、大統領職、連邦議会、知事職、州議会は、この2大政党に支配されている。例えば、1852年以後の大統領はすべて共和党員か
民主党員であり、第2次大戦後に行われた大統領選挙の一般投票では、平均して95パーセント近い票を2大政党で分け合っている。全米50州で、民主党員でも共和党員でもない知事が選ばれることはめったにない。また連邦議会でも州議会でも、無所属や第3政党の議員数はきわめて少ない。
ここ数十年で、自分を「無所属」に分類する有権者が増えており、多くの州で無所属として有権者登録することが認められている。にもかかわらず、世論調査によれば、自分は無所属だと言う人たちでさえ、一般に、2大政党のどちらかを支持する傾向がある。
このような一般的原則に対する例外は、地方レベル、特に小都市や町で見られる。そうした地域では、候補者がどの政党とつながりがあるかを宣言する必要はない場合もあり、あるいは、例えば市街地の再開発や学校建設など、特定の地域問題に関する住民発議という旗印の下で、
同じ考えを持ち公職に就こうとしている候補者の一員として選挙に出ることもある。
2大政党は全国レベルでも州・地方レベルでも政府を組織し、支配的な地位を占めているが、多くの民主主義国家の政党と比べると、イデオロギーや綱領への執着が少ないという傾向を持つ。国家の政治的発展に合わせた2大政党の適応力は、政治プロセスにおいて実利主義が重視されるという結果をもたらした。
なぜ2大政党制なのか?
すでに述べたように、1860年代以降、共和党と民主党が選挙戦を支配してきた。国の選挙運営が同じ2大政党により他に類を見ないほど長く独占されるという現象は、米国の政治制度の構造的側面と両党の特徴を反映している。
米国の連邦議会議員と州議会議員を選出する標準的仕組みは小選挙区制である。小選挙区制では、相対多数を得票した候補者(すなわち、ある選挙区において最高得票を得た候補者)が当選する。過半数の得票を必要とする州も少数ながらあるが、ほとんどの公職者は、単純多数の得票で選ばれる。
多くの民主主義国における比例代表制とは異なり、小選挙区制では1選挙区に1政党しか当選できない。従って、小選挙区制は、全米の議員選挙区で最高得票を勝ち取るだけの運営能力と資金源と大衆的魅力を備えた、広い支持基盤を持つ全国的政党の形成を促すことになる。このシステムは、少数政党や第3政党の候補者には不利であり、最低限の資金と大衆的支持しか持たない政党は、議員をまったく出せないという傾向に陥る。このように、新しい政党が、当選可能な得票数で代表を送り出し、全国的影響力を獲得することは難しい。米国の選挙制度は「勝者総取り」方式だからだ。では、資金源の豊富な全国的政党は、なぜ2つで、例えば3つでないのか。その理由のひとつは、有権者の選択肢としては2政党で十分と考えられているからである。また米国人は歴史的に政治的極端を嫌ってきたという理由や、両党とも新しい考え方を受け入れやすいという理由もある(下記参照)。
選挙人団
2大政党方式をさらに促進させる要素は、大統領選の選挙人団制度である。この制度の下では、米国の国民は、厳密に言うと正副大統領に直接投票するわけではない。各州で、ある候補者に投票すると誓った「選挙人」のグループに票を入れるのだ。選挙人の数は、各州から議会へ送る代表の数、すなわち、その州から選出される下院議員と上院議員を合計した数である。大統領に選ばれるためには、50州538人の選挙人投票の過半数を得なければならない。(この数には、米国の首都であるワシントン[コロンビア特別区]の選挙人票3票が含まれる。コロンビア特別区は州ではなく、連邦議会における投票権もない。)
絶対多数が必要となる大統領選に、第3政党が勝つのはきわめて難しい。各州の選挙人票は、(2州を別にして)「勝者総取り」方式により割り当てられるからである。すなわち、各州の一般投票で、たとえ僅差であっても最高得票数を得た候補者が、その州の選挙人票をすべて獲得できる。ただしメーン州とネブラスカ州では、選挙人票が、州全体の一般投票における最高得票者に2票与えられ、各下院選挙区での当選者に1票与えられる。小選挙区制と同様、選挙人団方式も第3政党に不利に働き、大統領選に勝利するために必要な多数の州の選挙人票を得ることはおろか、ひとつの州の選挙人票を獲得する可能性すらほとんどない。
米国の建国者たちは、州と中央政府とが権力を分け合うという構想の一環として選挙人団方式を考え出した。選挙人団制の下では、大統領選において全米の一般投票でどれだけ得票したかは、最終的には意味を持たない。その結果、各州の選挙に基づいて与えられる選挙人票数
が、米国全土の一般投票の得票数と異なるというケースも起こり得る。事実、これまで17回の大統領選で、一般投票では最高得票を得られなかった候補者が当選している。その最初の例は1824年の選挙で当選したジョン・クインシー・アダムス、直近では2000年のジョージ・W・ブッシュがいる。選挙人団制を時代遅れの風習だと考える人びとがいる一方、この方式だと、大統領選の候補者たちは、人口の多い州だけでなく多くの州で競い合う必要があるので、より好ましいという意見もある。
第3政党にとっての他の障壁
時とともに次第に全国的2大政党の形成へと向かうシステムの傾向と、民主党と共和党が行政機構を掌握している現状を考えれば、これら2政党がほかにも自分たちに有利な選挙ルールをつくってきたとしても驚くには当たらない。例えば、ある州で新しい政党が投票用紙の候補者一覧に載る資格を得るには、非常な努力と資金を要する。多くの場合、数万人の署名を集めた請願書が必要とされ、次の選挙でも候補者を出せるかどうかの基準となる「最低」得票数を獲得でき
なければならない。
さらに、米国独特の大統領候補指名プロセスも、第3政党にとって構造的障壁となっている。国家レベルの大統領職、議員職、および州レベルの公職に就こうとする党の候補者を指名するのに、これほど極端に予備選挙に依存しているの
は、世界中の民主主義諸国の中で米国だけである。すでに述べたように、このような指名方式の下では、予備選挙で投票する一般党員は、総選挙に立候補する所属政党の公認候補を選んでいることになる。ほとんどの国では、党公認候補者の指名は、党組織と党指導部によって調整される。しかし米国では、共和党と民主党の大統領候補を最終的に決めるのは、通常、有権者である。
こうした指名方式は、大半の民主主義国家の制度に比べて、党内組織の力の弱さに通じるものの、この参加型指名プロセスが、共和党と民主党の選挙戦支配の一因となっている。造反派や改革派の候補者は、予備選を通じて党の指名を勝ち取ることで総選挙の候補者となるよう、党内で活動することができ、従って第3政党をつくらなくても総選挙で勝利する公算を高められる。このように、予備選による大統領候補の指名方式は、意見の相違を2大政党の中へ向ける傾向にあり、ほとんどの場合、反対派は第3政党の結成という困難な作業に取り組む必要がない。さらには、2大政党とその候補者たちは、第3政党や無所属の候補者のメッセージが幅広い層の支持を受けたとわかると、それを取り込む選挙戦略を取ることが多い。
広い支持基盤
共和党と民主党は共に広い支持基盤を求め、あらゆる経済的階層、あらゆる年齢層の有権者を引きつけようとする。アフリカ系とユダヤ系の米国人は、大多数が民主党の大統領候補に投票するのが普通だが、彼らを除けば、両党とも米国社会のほとんどすべての主要な社会経済的集
団から、かなり高水準の支持を得ている。また両党とも政治的立場に柔軟性があり、ほとんどの場合、イデオロギーや政策目標の厳守を強制しない。むしろ、伝統的に、選挙に勝つことと選挙で選ばれる政府部門を掌握することを最優先に考えてきた。
米国の政党は、選挙の支持基盤が幅広い社会経済的階層から成り、イデオロギー的にはだいたい中道を行く社会で活動しなければならないという事情があるため、基本的には中道派の政治的立場をとっている。それと同時に、前にも述べたが、政治的立場の柔軟性も実証されている。教条的な立場をとらない民主・共和両党のこうしたアプローチは、多様な一般党員を受け入れることを可能にし、第3政党や反対運動が生まれた場合でもそれを吸収できる一因となっている。一般的に言って、共和党は保守的で、所有権と個人の富の蓄積をより重視するが、民主党はやや左寄りで、リベラルな社会的経済的政策を支持すると考えられている。実際には、権力を手に入れると、両党とも実利主義的になる傾向がある。
分散型の政党構造
米国の2大政党はイデオロギー面での柔軟性に加えて、分権型の構造を持つことを特徴とする。いったん任に就いた大統領は、連邦議会の与党議員が忠実に大統領主導の政策を支持してくれるだろうという思い込みは捨てなければならない。また議会の政党指導者も、自分の政党の所属議員が党の方針にそのまま従って投票すると期待することはできない。民主・共和両党とも、連邦議会の議員総会(congressionalcaucuses:現職議員で構成される)は自立性を持ち、大統領
が同じ政党出身であっても、大統領の立場とは反対の政策を追求することもある。同様に、党の選挙資金集めも切り離されており、両党の下院と上院の選挙委員会は、大統領選に傾きがちな党全国委員会とは独立して運営される。さらに、大統領候補指名の全国大会へ送る代議員の選定手続きに関して権限を行使することを別にすれば、党の全国組織が州レベルの党内問題に口を出すことはめったにない。
こうした組織の分散化は、憲法で定められた3権分立制、すなわち連邦および州レベルで立法府、行政府、司法府が権力を分け合うという制度の行き着く当然の結果である。分散型システムにおいては、党の最高指導者と議員が党としての一体化を図ろうとする動機は、ごく限られた範囲でしか生まれない。連邦議会議員
と大統領の関係、あるいは州議会議員と知事の関係においても、おおむね同じことが言える。
米国の連邦・州・地方自治体の重層的政治体制は、公職者を選ぶためにそれぞれのレベルで数千の選挙区を設けることによって、さらに政党の分散化を促進させている。また、前述したとおり、候補者指名のための予備選挙を行えば、党が候補者選出を左右することはできなくなるわけで、党組織を弱める結果にもなる。それゆえ、個々の候補者は、まずは予備選、次に本選で勝利するためには、独自の選挙組織をつくり、選挙民の支持を確立しなければならない。
国民の警戒心
米国の政治体制には、長年にわたって組織的党派性がはっきりと現れているにもかかわらず、市民文化に深く根付いた政党不信はさらに高まっている。連邦議会および州議会の議員候補を指名するために予備選挙が採用され発展してきたことは、国民の中にポピュリズム的感情、あるいは反政党的感情が存在する証である。現代の米国民は自分たちの政府に対して、政党組織の指導者が大きな権限を持つことに懐疑的になっている。いろいろな世論調査でいつも示されるのは、大多数の人たちが、政党は時として問題を明らかにするより混乱させており、投票用紙に政党名を載せない方がよいと考えていることだ。
だから政党は、党への帰属意識をあまり重視しなくなっている有権者が相当数にのぼるという問題に向き合わなければならない。例えば、大統領選では自分の所属政党の候補者に票を入れた有権者が、連邦議会議員の選挙では別の党の候補者に投票するということもある。このように、政治にねじれ現象のある時代にあっては、大統領が上院か下院、またはその両方で、過半数を得られないまま統治を実施する場合も多い。連邦政府でも50州の政府でも、行政府と立法府を支配する政党が異なるのは、もはやありふれた特徴となっている。こうした状態は、ともすれば有権者に不都合な重要政策を阻止することになるので、有権者にとってはより好ましいという意見もある。
第3政党と無所属候補
前述のような障害があるにもかかわらず、米国の政治には第3政党や無所属の候補者が周期的に現れるという特徴がある。彼らはしばしば、大政党が取り上げようとしない社会問題を、国民的議論の最前線へと引き出し、さらには政府の重要な政治課題へと押し上げてきた。しかし、ほとんどの第3政党は、ひとつの選挙で華々しく活躍したあとは、消えてしまうか、次第に衰えていくか、大政党のひとつに吸収される傾向にある。1850年代以降、新党が大政党の地位まで上り詰めた例はただひとつ、共和党だけである。そのときには、奴隷制というやむにやまれぬ道徳的問題が国を二分していた。この問題が、候補者を集め、有権者を動員する根拠となっていたのだ。
第3政党が選挙結果に大きな影響を与えるという証拠がある。例えば、1912年の選挙で、セオドア・ルーズベルトが第3政党から立候補したため、共和党の通常の票が割れ、一般投票で過半数を得られなかった民主党のウッドロー・ウィルソンの当選を可能にした。1992年には、無所属で立候補したH・ロス・ペローが、1980年代に主に共和党に投票していた有権者を引きつけ、結果的に、共和党の現職大統領ジョージ・H・W・ブッシュの敗北につながった。共和党のジョージ・W・ブッシュと民主党のアル・ゴアが大接戦を演じた2000年の大統領選挙では、もし「緑の党」のラルフ・ネーダーの名前がフロリダ州の投票用紙に載っていなかったら、アル・ゴアが同州の選挙人票を獲得し、大統領になっていたかもしれない。
第3政党という概念が、常に国民の高い支持を受けていることは、1990年代以降の世論調査によって明らかにされている。2000年選挙の前段階で行われたギャラップ世論調査によると、米国民の67パーセントは、大統領、連邦議会、州の公職選挙で、共和党と民主党に対抗して候補者を立てられる、強い第3政党の出現を望んでいる。そうした世論の動向に加えて潤沢な運動資金があったからこそ、1992年の大統領選で、テキサスの大富豪ロス・ペローは一般投票の19パーセントもの票を獲得できた。ペローの得票率は、大政党以外の候補者としては、1912年に一般投票の27パーセントを占めたセオドア・ルーズベルト(革新党)以来の高い数字である。
第3政党の大統領候補は20世紀に数回現れた。当選はしなかったが、大統領選挙に影響を与えている。1912年、自党「ブルムース」(革新党)の支持者に向かって演説する元大統領セオドア・ルーズベルト (©CORBIS) | 1992年、テキサス州の富豪ロス・ペローは連邦予算の赤字に関心を示すようになり、第3政党から大統領選に出馬。テレビ出演して意見を述べた。彼の遺産はビル・クリントンを大統領に当選させたことだとも言われる (©APImages) | 2000年、「緑の党」の大統領候補となった社会活動家ラルフ・ネーダーは、わずかな票しか獲得できなかった。アル・ゴアの支持者は、ゴアに必要なリベラル票をネーダーが吸い取ってジョージ・W・ブッシュを当選させてしまったと非難した(©AndyKuno/APImages) |
出典:USAElectioninBrief
*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。