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核兵器のない世界 – 核備蓄の意味

米国とロシア
核備蓄の意味

ジョナサン・リード・ウィンクラー

冷戦時代は、大量の、経費のかさむ核弾頭の備蓄を維持することが、平和の代償だった。ジョナサン・リード・ウィン クラーは、オハイオ州立ライト大学の歴史学准教授である。

現冷戦のピーク時で米ソ両国が保有していた核弾頭の合計数 は、数万発に上ったが、最終的には、両国が怒りに駆られて これらの核弾頭を使うことは一度もなかった。なぜこの2 超 大国は、特に両国ともそれらを決して使用しないことを望ん でいたとすれば、これほど途方もない量にまで核兵器備蓄の 増強を図ったのであろうか。その答えは単純ではない。

冷戦中に、万が一、戦争が勃発していたならば、米ソ両国とも相手の軍隊や産業拠点、都市の中心地に対する攻撃のた めに、核兵器の使用を意図していた。

しかし、双方がいずれも早い段階で認識するに至ったのは、 核戦争がもたらす壊滅的な打撃は、自国と相手国にとどまらず、まさに世界全体に及ぶということであった。その結果、 米ソ2 超大国はともに、核兵器を、主として、双方に開戦を ためらわせる抑止力とみなすようになった。

第2 次世界大戦による徹底的な荒廃を目の当たりにした後で、それにも増して壊滅的な打撃をもたらす恐れのある衝突を望む者はほとんどいなかった。結局のところ、莫大な核弾 頭備蓄の維持にかけられた費用は、2 超大国間で50 年以上 にわたって保たれた平和の代償だったのである。

米国は1940年代後半、大量の核兵器はさまざまな理由から自国に必要であるとの結論を下した。真珠湾で経験したような奇襲攻撃が、将来の戦争の冒頭に起こる可能性がある以 上、米国としては大量の軍備を整えて、どのような攻撃にも 耐えられる報復攻撃力を備えることにしたのである。

冷戦

こうした考えは、米国がソ連を最大のライバル国として完 全に認める前からすでに出ていたが、冷戦が展開するにつれ、 通常戦力におけるソ連の相当な数的優位が明らかになった。 万一戦争が勃発すれば、開戦から数週間後には米軍と NATO 軍を難なく制圧できる力が、ソ連軍にはあった。米 国は、ソ連の優位性を相殺できるのは核兵器以外にないとい う結論に達した。

ソ連が1949 年に核実験を行って米国の優位を打ち消し、 さらに中華人民共和国という盟友を得ると、米国の政府高官 はついに、より強力な水爆の製造と、通常兵器・核兵器の大 幅増強によって、ソ連の脅威に対抗することを決めた。

米国は1950 年代初期までに、大量の核兵器の備蓄をすで に始めていた。中・長距離爆撃機は約1600 機を配備し、ソ 連の200 機を大幅に上回っていた。米ソとも、このほか核野 戦砲や核爆雷といった戦術兵器も増強している。

米国が1948 年から1960 年代半ばまでに行った核戦力の増 強規模には、多くの理由があった。

第1 に、1960 年代初期まで、ソ連の実際の軍事力に関し て米国が持っていた情報は、完全なものではなかった(高高 度偵察機や偵察衛星の利用により情報の精度は上がり始め た)。その結果、米国はソ連の工業力を大幅に過大評価して いた。

第2 に、米国は依然として、ソ連が欧州において通常戦力 で優位にあることを恐れており、戦術核兵器をその対抗手段 とみなしていた。強大なソ連赤軍といえども、壊滅的な核攻 撃による報復を免れない状況では、欧州の領土を侵略しても 得られるものはほとんどないであろうと考えたのである。

第3 に、ドワイト・アイゼンハワー大統領は、大規模な核 兵器の増強を平和維持の手段として利用しようと考えていた。 数の上で優位にあるソ連の軍事力に対抗するには、平時に通 常兵器の増強を持続するよりも核備蓄の方が比較的に安上が りで、米国経済への打撃が少なくなる。あらゆる衝突を全面 核戦争にまで拡大させるというアイゼンハワーによる「大量 報復」の脅しは、ソ連に対する抑止力となり、同時に米国の 同盟国ばかりか、米国自身の動きさえ抑制する効果があると 考えられたのである。

ピーク時の備蓄量

しかし、事故が発生しようと、ソ連が有効な防衛力を発揮 しようと、ソ連の先制攻撃で損害が出ようと、米国の核戦力 が戦時下の任務をあくまで遂行しうることを保証するために は、核備蓄量はおのずと高くならざるをえなかった。米国の 核弾頭備蓄量は、1966 ~ 67 年のピーク時に3 万1000 発に達し、その運搬手段としておよそ2200 機の戦略爆撃機とミ サイルが配備された。

1960 年代に潜水艦発射弾道ミサイルが採用されると、奇 襲攻撃に対する恐怖は緩和された。すべての原子力潜水艦が、 常に海中のどこに存在するのかを知ることは不可能に近く、 その結果、相手国が奇襲攻撃を行えば報復を免れないことを、 米ソとも確信することができたからである。

ソ連と米国が、戦略核戦力の3 本柱として、有人爆撃機、 陸上配備ミサイル、潜水艦発射ミサイルに依存するというこ とは、互いに相手を確実に破壊し得る能力を持つ「相互確証 破壊」(MAD)の状態にあることを意味した。このMAD と いう考え方は、核戦争に勝者はないことを確認するもので、 それが冷戦の安定化を促した。

「相互確証破壊」という概念が存在したにもかかわらず、 ソ連が冷戦時代の後半を通じて大幅な核兵器増強に乗り出し たのは、米国がむしろ東南アジアに注目している間に、米国 に追いつき、一部の分野では米国をしのぐためであった。ソ 連の核弾頭備蓄量は、1986 年のピーク時には、4 万発を超え ていたと見られている。ソ連の戦略的運搬手段の総数は、ピー ク時の1979 年、爆撃機、潜水艦発射・陸上配備ミサイルを合わせて約2500 に上った。

冷戦後期に追加的に製造された核兵器の限界効用はわずか なものだったが、その存在によって、核戦争は考慮に値しな いものになり、その結果、核戦争は回避された。それは、高くついたが、大惨事を避けるのに必要な代償だったのである。

 

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本稿に示された意見は、必ずしも米国政府の見解あるいは政策を反映するものではない


出典:eJournal “A World Free of Nuclear Weapons”

*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

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Why the Stockpiles?

Why the Stockpiles?
Jonathan Winkler, Associate Professor of History, Wright University
Maintaining huge and expensive nuclear warhead stockpiles was the cost of peace during the Cold War.