国務省出版物
権利章典 – はじめに
われらは次に述べる事柄は自明の真理と信じる。すなわち、人はすべて平等に創られている。創造主によって、人は、生存、自由、そして幸福の追求という他者から侵されることがない権利を与えられている。これらの権利を確保するため、政府は人々の間に樹立されるのであり、その正当な権力は、被統治者の同意に基づく
独立宣言のこの文言は、米国民にとって常に特別な意味を持ち続けてきた。米国の自由の憲章のひとつとして、7月4日の独立記念日に無数の集会で朗読され、何世代にもわたり学童に暗唱され、あらゆる政党の政治家によって引用され、裁判所の判決の中で頻繁に言及された。ここに込められたメッセージは、国民の権利保護が、文民政府樹立の前提条件であり、政権が正当化される根拠になるというものである。メッセージは200年前と同じように、今日も力強く国民の心に訴えかけている。国民は、独裁者が支配する社会のように、政府に仕えるために存在するのではない。むしろ政府の方が、国民と国民の権利を守るために存在している。この考え方は1776年に提起されたとき、革命的な概念だった。それは今日も変わることはない。
この小論で筆者は、これらの諸権利のうち、より重要なものは何か、それらの権利は、いかにして一体的に結びついているのか、またその定義は、必要に応じて、どのように変化するのかについて、説明することを試みた。われわれが生きているのは、18世紀ではなく21世紀の世界である。合衆国憲法の制定者たちの精神は憲法が擁護している権利について、いまもわれわれの理解を助けてくれるが、米国民はその世代ごとに、自らの力でその精神を再発見し、解釈し直し、その恩恵を享受できるようにすべきである。
1787年、フィラデルフィアでの憲法起草会議が終了した直後、ジェームズ・マディソンは、新しい合衆国憲法の写しを友人であり助言者でもある、トマス・ジェファソンに送った。ジェファソンは当時駐仏大使だった。ジェファソンは、全体としてはよくできているが、ひとつ重大な欠点がある、と指摘した。それは、権利章典が欠如していたことだった。ジェファソンはそのような諸権利の明記は、「この地球上のどのような政府に対しても、国民が持つ権利」だと説明した。ジェファソンのこの言葉は、憲法を起草した人々の一部を驚かせた。彼らは、憲法の条文全体が新政府の権力を厳しく制限している以上、そこには権利章典は含まれている、と考えていた。例えば、議会は教会を設立しないということをわざわざ保障しなくても、議会にはもともとそのような権限が付与されていないのだから不要だと彼らは考えた。しかし、独立宣言の中心的起草者であるジェファソンは、そうは考えなかった。行使すべき権限も権威も持たない、と見なされる領域に政府が踏み込み、その結果、個人の権利が制約されたり、失われたりすることが、過去、あまりにも多かったからである。ジェファソンは、政府による自制という考えをあてにせず、国民の権利を明記し、政府がそれに指一本触れさせないようにすべきだと呼びかけた。このジェファソンの意見に多くの人々が賛同した。いくつかの州が、権利章典を付け加えることを新憲法承認の前提条件に決めた。
議会が初めて召集されたとき、マディソンは、率先してそのような章典の起草に当たった。1791年までに、各州議会は、一般に「権利章典」と呼ばれる合衆国憲法への修正条項10カ条を批准した。しかし、これらの修正条項で列挙されたものだけが権利ではなく、それ以降、数多くの修正条項が、憲法で守られる国民の権利の拡大に大きく貢献した。
これから小論で紹介するように、憲法修正条項の中にうたわれた権利の多くは、英国人の経験と、英国の植民地時代の米国人の経験の、両者から発展してきたものである。それら権利のすべては、個人の自由と民主主義は切り離せない関係にある、という憲法制定世代の人々の理解を反映している。例えば、言論の自由をうたった修正第1条は、自由な政府の礎石として普遍的に広く認められている。ベンジャミン・カードーゾ合衆国連邦最高裁判所判事は1938年、「これはまさに、そのほかのほぼすべての形態の自由の基盤であり、必要不可欠の前提条件である」と言っている。犯罪で告発された被告人には、適正な法手続きという考え方によってまとめられた、さまざまな権利が付与されている。これは国家の方が、国民を訴追する力で勝っているという理由だけではなく、国民を裁く政府の権限が独裁者の手に渡れば、専制政治を行う武器にもなりかねない、という認識によるものである。今日もなお、独裁政権の下では、政敵を迫害し弾圧するための、令状なしの捜索や逮捕、裁判・保釈なしの長期勾留、拷問、いかさま裁判などが、日常的に行われている。刑事裁判における政府の対応ぶりは、政府の民主化の度合いや、法の支配の徹底ぶりを測る上で、わかりやすい指標にもなる。
長い年月の間にいくつかの権利の定義が変わり、プライバシーなどの新しい概念が憲法の用語集に加わった。しかし、どのように定義されようとも、人間としての権利は、米国人であることの核心にあることに変わりはない。このように、米国は極めてユニークで、その権利の伝統は、米国人のこれまでの経験を反映している。ほかの国々は、それぞれの国のアイデンティティ、すなわちその国の国民であることの意味を、主として民族性や起源、祖先、宗教、ないしは歴史など共有するものを通じて定義する。しかし、そのいずれについても米国人の間に共通するものはほとんどない。米国は、世界史上最も多様性に富む国家だからである。米国市民は、地球上のあらゆる大陸、あらゆる国々から来た人たちである。米国民が祈りを捧げる場所は、ひとつの教会ではなく、キリスト教会、ユダヤ教寺院、モスク、ヒンズー教僧院や、その他何千という礼拝所である。米国の歴史は、単に米国自体の歴史にとどまらず、何百万人もの移民が持ち込んできたそれぞれの国の歴史でもある。米国人の中には、1620年のメイフラワー号による航海の時代まで祖先をたどれる人もいれば、曾々祖父が南北戦争で戦ったという人もいる。その一方で、20世紀の欧州とアジアの戦争で家族全員を失い、着の身着のままで米国にたどりついた人もいる。
こうした多様なグループの人々を米国民として束ねている共通の信念が、個人の自由は、自由な政府を特徴づける最も重要な要件だという共通の信念である。エイブラハム・リンカーンは、南北戦争の流血の渦中にあった米国を、「地上の最後の、最良の希望の光」と形容した。しかしリンカーンは、米国という国やその国民が、ほかの国民より道徳的に優れているという意味で言ったのではなかった。むしろ、そこには民主主義それ自体を根づかせ、発展させるためには、国民の権利に基盤を置き、それを擁護する自由な政府の理想を堅持して行く必要性がある、という意味が込められていた。
この小論で、もうひとつ明らかになることがある。それは、米国民の間では、これらの権利の重要性については、おおむね合意が得られているものの、それぞれの権利が実際に意味するものについては、意見が分かれているということである。例えば、言論の自由は、星条旗を燃やすことや、インターネット上に猥褻な素材を掲載することも許すのだろうか。教会設立の禁止は、宗教への政府支援を全面的に禁ずるものなのか、それとも単に、宗教を平等な形で支援しなければならない、という意味なのか。死刑は、残虐で異常な刑罰の禁止という範疇に入るのだろうか。
米国人にとって、このような疑問は、公的な政治論議に値する。この種の議論は、国民がそうした権利を軽んじていることを示すものではない。それどころか、米国のように多様な社会では、権利についての解釈もまた多様になって当然なのである。個々の権利が何を意味するかだけでなく、なぜそれについて議論が続いているかを理解する方法は、少なくとも米国で発展してきた自由の概念には、多面性があることを認識することである。
第1に、あらゆる自由社会には、自由と責任の間には常に避け難い緊張関係が存在する。あらゆる権利には相応の責任が伴う。義務は、時には権利を行使する人に対して課される。あなたが腕を振る権利は、私のあごに当たる寸前まで、ということわざもある。ひとりの人が権利を行使する場合、ほかの人はそれに干渉しないよう自制が求められることがある。例えば、ある人が、過激な思想を主張し、それが聴衆の気に入らないものであっても、警察は、その人の自由な言論の権利に介入することを控える。自宅で安全に過ごす権利とは、適切な令状を確保しない限り、警察はその住居に入ることを控えなければならないことを意味する。
この自由と義務の緊張関係は、多くの場合、健全なものと見る必要がある。なぜなら、その緊張関係が作り出す均衡が、無政府主義にまで自由が堕落するのを食い止め、抑制が専制政治へとエスカレートするのを防いでいるからである。民主主義の下では、国民は、ほかの人の権利を尊重しなければならない。それは単なる礼儀によるものではなく、ひとりの人間の権利が縮小されれば、残りの全員の権利喪失につながりかねないという基本的な認識によるものである。
権利を行使する際の第2の問題は、権利がどのようなことを伴うかについて、しばしばきちんとした定義がないことである。かつてジョン・マーシャル合衆国連邦最高裁判所長官は、憲法は、「列挙はするが、定義はしない」文書だ、と述べた。その意味は、憲法の下で、連邦議会には一定の権限が与えられているが、そうした権限は列挙されているだけで、定義はなされていないということである。例えば、連邦議会には州際通商を管理する権限があるが、2世紀以上にわたって、「州際」が厳密に何を意味するかという議論が続いている。
定義がなくても混乱が起きていない理由のひとつは、憲法それ自体に、憲法の文言を解釈する仕組みを与えているからである。国の最高司法機関である合衆国連邦最高裁判所が、ある特定の権利に関して下した判断に、たとえ国民が同意できない場合でも、法の支配に忠実であるためには、その解釈に従う必要がある。合衆国連邦最高裁判所判事の顔ぶれは時代と共に変わる。男女を問わず合衆国連邦最高裁判所判事となる者は、権利の概念の進化を理解し、その進化を反映させる。それゆえ合衆国連邦最高裁は多年にわたり、憲法上の権利が時代の要請に応えられるよう、憲法を維持するための主要な機関として機能してきたのである。
第3の問題は、権利の及ぶ幅についてである。米国史を書くとすれば、米国における権利がどのように進展し、より多くの人々へと拡大していったかを容易に論じることができよう。例えば、投票権はかつては21歳以上の白人男性の財産保有者に限定されていた。それが、今では18歳以上のほとんどすべての国民に拡大された。性別や皮膚の色を問わず、地主にも地主でない人にも、拡大された。
比較的、単純明快に見える信仰の自由を保障する条項でも、その及ぶ範囲が問題になる。明らかに信仰の自由は、主要な宗教を信奉する以上の意味を含んでいる。すなわち、反教会派や無神論者でさえ、干渉されないことを保障している。しかし、動物を生け贄に捧げたり、一夫多妻を許容したりするなど、国の価値観と相容れない教義を持つ宗派は、どこまで保護するべきなのだろうか。合衆国連邦最高裁判所は、200年以上にわたって、このような問題と取り組んできた。ケネディ判事は、星条旗が燃やされた事件の審理で、次のような意見を出したが、これに見られるように、合衆国連邦最高裁判所が、特定の権利の解釈をどこまで拡大すべきかという困難な問題に、今なお直面しているのである。
米国史の流れの中で、国民の権利擁護という観点からいえば、疎漏があったことは、否定できない。モルモン教徒は東部の諸州から閉め出され、一夫多妻制をやめるまで、西部でも迫害を受けた。南北戦争により解放されたはずの黒人奴隷たちは、それから間もなく、「ジム・クロウ法」という名前で知られる、法的強制力を持つ南部の大がかりな人種差別の構造の中に閉じ込められた。過激思想を恐れるあまり、赤狩りが起こり、第1次、第2次世界大戦の後、憲法修正第1条でうたわれた権利が、著しく狭められた。日系米国人は、第2次世界大戦中、一斉検挙され、強制収容所へ送られた。
こうした一連の出来事が、そもそも権利を特徴としている国で起こるのは奇妙だと思われるかもしれないが、これらの誤りは、権利章典をきれいさっぱり破棄したいと考えた集団が犯したわけでない。むしろ、彼らは善意の普通の人々であり、自分たちにとってより遠大な目標や、もしくは米国の生死にかかわると考えた大きな脅威に立ち向かうためには、権利章典で制約を受けるのは不都合だと考えたのである。
もうひとつの重要な問題は、憲法で具体的に明記されていない権利の評価にかかわるものである。憲法修正10カ条や、ほかの条項に明記された権利は明らかに重要であり、憲法上の保護が適用されることには、誰もが同意する。しかし、個別に列挙されてはいない権利は、どうなのだろうか。そのような権利はそもそも存在するのだろうか。その解答は、憲法をどのように解釈するかによる。また、その解釈は、米国人が自分たちの権利をどれだけ真剣に受け止めているかという尺度にもなっている。したがって、憲法の意味と解釈は、昔も今も、国民的な論議の大きな争点となっている。
またその一方には、憲法の意味はその字句通りであり、それ以上ではないという学派がある。列挙されている権利は擁護するべきだが、憲法を修正することなしに、新しい権利を創出してはならない、という立場である。1960年代、プライバシーの権利という問題が持ち上がったとき、憲法の厳格な解釈で知られる、ヒューゴ・L・ブラック合衆国連邦最高裁判所判事は次のように述べた。「私には、自分のプライバシーも隣人のプライバシーも大切だが、にもかかわらず、何らかの明白な憲法条項で禁じられていない限り、政府がそれを侵害する権利を持つことを認めざるを得ない」 だがそうなると、憲法で列挙していない権利も国民に保障する、という修正第9条との関係はどうなるのだろうか。学者や判事の中には、修正第9条は、1791年に批准された時点で、国民が有していた権利だけを指しており、従ってそのような権利が、当時、存在したことを示す明確な証拠がない限り、必要とされる憲法修正手続きなしに、その権利を憲法に持ち込むことはできない、と考える人もいる。
こうした見解と対立するのが、しばしば「生きている憲法」と呼ばれる理論の信奉者である。憲法は、その国の政治的、社会的、経済的情勢の進展につれて変化し適合しなければならないという考え方である。憲法解釈は、やはり文書に書かれた言葉から出発するが、文言の意味そのものよりも、その言葉に命を吹き込む精神に重きを置く。例えば、1920年代、合衆国連邦最高裁判所が盗聴に関する事件を初めて審理した時、判事の過半数は実際の盗聴は当局が建物の外で行ったので、修正第4条にある「捜索」という言葉が意味する行為は行われなかったと解釈し、捜索令状は不要と判断した。しかし、最終的に合衆国連邦最高裁判所は、実際に屋内に侵入しなくても、新しい技術によって個人の家のプライバシーを侵害することが可能になったことを認めた。そして、それまでの合衆国連邦最高裁判所解釈を撤回し、盗聴は「捜索」にあたり、捜索令状が必要である、と裁定した。ウィリアム・O・ダグラス判事は、「憲法の起草者は、電話さえ知らなかったのだから、盗聴という行為など想像もできなかっただろう」という有名な言葉を残している。「生きている憲法」の考え方に立つ人々は、時代の流れをふまえて、盗聴が、実は捜索であることに気付き、憲法起草者の意図をくみ、個人の住宅のプライバシー保護にまで踏み込んだのである。同じ論理により、1960年代、合衆国連邦最高裁判所の過半数の判事たちは、プライバシーが憲法制定世代の人々が擁護しようとした権利のひとつであることに同意した。
ジェファソンと同様に、憲法起草者の多くは、連邦政府の権力を恐れ、それを制限するために、権利章典を要求した。彼らは、権利章典という概念には長い歴史があり、1215年の英国のマグナカルタにまで遡ることを承知していた。英国は1689年、権利章典を発布した。米国では、1701年、植民地ペンシルベニアが自由の憲章を採択した。独立が宣言されてまもなく、バージニアがジョージ・メイソンが執筆した権利の宣言を採択した。連邦政府の修正案を起草するとき、ジェファソンもマディソンもこの権利宣言を念頭に置いていた。しかし、その頃には重要な変化が起こっていた。そしてマディソンなどの人々が、権利章典は、政府権力の抑制よりも、むしろ国民の抑制のために重要だ、と感じていたのは皮肉なことである。
英国とその植民地における権利の宣言の原典は、政権を支配する少数のエリートから、国民を守ることを目指す内容だった。しかしながら、米国では18世紀には植民地政府の民主化が進み、こうした展開が、ある意味で独立への引き金となり、1780年代に民主化はその勢いを増した。政治権力は、いまや多数派の手に渡っていて、統治者が権力を行使するのは生まれや富だけによるのではなく、過半数の人々の合意を得たからだった。そこで、権利章典の焦点は、多数派から少数派をいかに守るかに移ったのである。
これは、民主主義は多数派による支配である、としばしば定義されることから見て、奇妙だと思う人もいるかもしれない。しかし、「多数派」とは複雑な言葉である。ある問題では意見を同じくする人々が、別の問題では真っ向から対立することがある。民主的な統治とは、多数派の人々が絶えず入れ替わりながら重ねる妥協のことである。最終的には、たいていの人々がたどり着いたたいていの結論に、たいていの場合、満足するように、ことを進めるのである。しかし問題によっては、だれでも自分が少数派に回る可能性があるので、ただ単に自分の利益を守るために、少数派にも特別な庇護が必要なのだ、と言いつのったりする。不人気の発言者に対して、黙れと言う人は、いつの日か、自分自身が逆に、人から歓迎されない立場を支持する発言者になるかもしれない。多数派に対して、反対意見を述べる自由を確保するためには、自分と異なる立場を主張するすべての人々をも守ることを、許容しなければならない。同様に、自由に宗教活動を行う1人の権利を維持するためには、宗教観が異なる人々の自由も認めなければならない。
以下の小論では、合衆国連邦最高裁判所の判断に、数多く言及しているが、わざわざそうしたのは、合衆国連邦裁判所は個人の自由の拡大と擁護の上で、比類のない役割を果たしてきたからである。この民主主義の社会で、不品行がない限り解任されず、民意に問われることもない終身在職権を得た9人の人たちの手に、国民の権利についての判断が委ねられていることは、ある意味で皮肉と言えるだろう。とはいえ、憲法と権利章典は、それを守らせる法の執行者が必要であるし、この状況下では、これは言論の自由にあたるのだとか、あるいは、これは許容できない警察の行為である、などと判断する人も必要である。チャールズ・エバンス・ヒューズ合衆国連邦裁判所長官はかつて、「憲法とは、合衆国連邦裁判所がそうだ、と言ったら、そうなのだ」と述べた。国民の権利の大部分は、裁判所によって、定義されてきたことは間違いのないところである。
しかしながら裁判所は、法を執行する機関以上の存在である。個々の権利の意味について、人々の見解はさまざまに異なっていても、公平な法廷がひとたび、判決を下せば、進んでそれを受け入れる。合衆国連邦裁判所が常に正しかった訳ではない。過去2世紀にわたり、合衆国連邦裁判所判事を務めた人々は、自分たちを完全無欠だとは見なしてこなかった。長年の試練に耐えた判決もあれば、新しい展開の前に無効になった判決もある。何よりも合衆国連邦最高裁判所は、われわれの権利の理想像を確立してきた。市民生活の中で、市民の権利が行使されるべき場所を定義してきた。また時には、「ホイットニー対カリフォルニア事件」(1927年)の審理でブランダイス判事が言論の自由について説明したように、判決の雄弁さが、われわれの伝統の一部となってきた。
しかし、合衆国連邦最高裁判所判事たち自身が認めているように、民主主義も国民の権利も、国民自身がそうした基本原則を守ろうという信念を持たなければ、存続することはできない。これらの権利は、自由社会の実現を可能にするだけでなく、米国民そのものを定義するものでもある。これは、おろそかにできることではない。
ジョン・アクトン卿 | 「自由の歴史」その他の小論文(1907年) 「自由とは、より高い政治的な目的を達成するための手段ではない。それ自体が至高の政治目的である。」 |
エドマンド・バーク | 「自由な政府を樹立する難しさについて」 (1790年) 「ひとつの政府を樹立するのに、格別な思慮深さは必要としない。権力の座をしつらえて誰かを座らせ、人々に服従することを教えれば、それで済む。自由を与えることは、さらに容易である。人々を導く必要はない。手綱を放せばそれで済む。しかし、自由な政府を作るということは、首尾一貫した作業の中で自由と抑制という相反する要素を練り合わせることであり、それには熟慮と深い考察と、賢明で強力な、物事をまとめ上げる精神―が要求される」 |
アンソニー・ケネディ判事 | 「テキサス州対ジョンソン事件」での同意意見(1989年) 「われわれ判事も、時には望まない判決を下さなければならない。これは、厳然たる事実である。そうした決定を下すのは、それが正しいからである。正しいという意味は、法と憲法に鑑みて、それ以外の結論はありえない、ということである。そしてわれわれは、法の手続きに非常に大きな責任を有しており、まれな事案は例外として、審理の結果について、わざわざ不快感を表明することはしないが、それは多分、その判断を余儀なくさせた尊重すべき原則の根拠が揺らぐことを恐れてのことである。今回は、そのまれな事案のひとつである。」 |
ロバート・H・ジャクソン判事 | 「ウェストバージニア教育委員会対バーネット事件」(1943年) 「まさに権利章典の目的は、浮き沈みの激しい政治的な論争から特定のテーマを引き離し、それらを多数派や役人の手が及ばないところに置き、裁判所が適用する法的原則として確立させることにあった。人間の生命、自由、財産の権利、言論の自由や、報道の自由、信仰と集会の自由、そのほかの基本的な人権は、投票の対象にすることはできない。これらの権利は、どのような選挙の結果にも左右されない」 |
ジェームズ・マディソン | トマス・ジェファソンへの手紙(1788年) 「政府の実権がどこにあろうとも、抑圧の危険は常に存在する。われわれの政府では、実権は地域社会の多数派の手中にあるからである。個人の権利の侵害が主として懸念されるのは、政府が良識ある有権者の意に反して行う行為によるのではなく、大多数の有権者の単なる道具としての政府の行為によるものである」 |
Introduction: Rights of the People
(The following article is taken from the U.S. Department of State publication, Rights of the People: Individual Freedom and the Bill of Rights.)
We hold these Truths to be self evident, that all Men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable rights, that among these are Life, Liberty, and the Pursuit of Happiness – That to secure these Rights, Governments are instituted among Men, deriving their just Powers from the Consent of the Governed.
– United States Declaration of Independence
These words from the Declaration of Independence have always had a special meaning for the people of America. It is one of our charters of freedom, recited at countless gatherings every Fourth of July, memorized by generations of schoolchildren, invoked by politicians of every party, and frequently cited by the courts in their decisions. Its message, which resonates as forcefully today as it did over two centuries ago, is that protection of the rights of the people is the antecedent, the justification, for establishing civil government. The people do not exist to serve the government, as is the case in tyrannical societies, but rather the government exists to protect the people and their rights. It was a revolutionary idea when first propounded in 1776; it still is today.
John, Lord Acton, The History of Freedom and Other Essays (1907)
Liberty is not a means to a higher political end. It is itself the highest political end.
In the essays that follow, I have tried to explain what some of the more important of those rights are, how they are integrally connected to one another, and how as a matter of necessity their definition changes over time. We do not live in the world of the 18th century, but of the 21st, and while the spirit of the Founders still informs our understanding of constitutionally protected rights, every generation of Americans must recapture that spirit for themselves, and interpret it so that they too may enjoy its blessings.
In 1787, shortly after the Philadelphia convention adjourned, James Madison sent a copy of the new U.S. Constitution to his friend and mentor, Thomas Jefferson, then American ambassador to France. On the whole, Jefferson replied, he liked the document, but he found one major defect-it lacked a bill of rights. Such a listing, Jefferson explained, "is what the people are entitled to against every government on earth." Jefferson's comment surprised some of the men who had drafted the Constitution; in their minds, the entire document comprised a bill of rights, since it strictly limited the powers of the new government. There was no need, for instance, of any specific assurance that Congress would not establish a church, since Congress had been given no power to do so. But Jefferson, the chief architect of the Declaration of Independence, believed otherwise. Too often, in the past, governments had gone into areas where supposedly they had no power to act, and no authority to be, and the result had been a diminishing or loss of individual rights. Do not trust assumed restraints, Jefferson urged, make the rights of the people explicit, so that no government could ever lay hands on them. Many people agreed with Jefferson's sentiments, and several states made the addition of a bill of rights a condition of approval of the new Constitution.
At the very first Congress, Madison took the lead in drafting such a bill, and by 1791 the states had ratified the first 10 amendments to the U.S. Constitution, commonly called the Bill of Rights. But they are not the only rights listed in the document, and many of the amendments since then have done much to expand the constitutional protection of the rights of the people.
As we shall see in the essays following, many of the rights in those amendments grew out of the experience of both the British and the American colonists during the period of British rule. All of them reflect the Founding generation's understanding of the close ties between personal freedom and democracy. The First Amendment Speech Clause, for example, is universally recognized as a foundation stone for free government; in Justice Benjamin Cardozo's phrase, written in 1938, it "is the matrix, the indispensable condition, for nearly every other form of freedom." The various rights accorded persons accused of crime, all tied together by the notion of due process of law, acknowledge not only that the state has superior resources by which to prosecute people, but that in the hands of authoritarian regimes the government's power to try people could be a weapon of political despotism. Even today, dictatorships regularly use warrantless searches and arrest, lengthy detention without trial or bail, torture, and rigged trials to persecute and crush their political opponents. How the government acts in matters of criminal justice is a good indication of how democratic a government is, and how strongly the rule of law pertains.
Over the years, the definition of some rights has altered, and new concepts, such as privacy, added to the constitutional lexicon. But however defined, the rights of the people are at the core of what it means to be an American. In this way the United States is quite unique, and its tradition of rights very much reflects the American experience. Other countries define their national identity, what it means to be a citizen of that country, primarily through things held in common – ethnicity, origin, ancestry, religion, even history. But in these areas there is very little commonality among Americans – the most diverse nation in the history of the world. U.S. citizens come from every continent, every country on earth; they worship not in one church but in thousands of churches, synagogues, mosques, ashrams, and other houses of prayer. The history of the United States is not just that of the country itself, but the histories that millions of immigrants brought with them. Although there are some Americans who can trace their ancestors back to the Mayflower voyage in 1620 and others whose great-great-grandparents fought in the Civil War, there are others whose families were wiped out by wars in Europe and Asia in the 20th century and who came here with little more than the shirt on their backs.
What binds this diverse group of individuals together as Americans is the shared belief that individual liberty is the essential characteristic of free government. When Abraham Lincoln, in the midst of a bloody civil war, called the United States "the last, best hope of earth," he did not mean that the country or its inhabitants were morally superior to other peoples. Rather, the ideal of free government resting upon and protecting the rights of the people had to be preserved so that democracy itself could take root and grow.
One thing that will be clear from these essays is that while there are large areas of agreement among Americans as to the importance of these rights, there is also disagreement as to exactly what some rights mean in practice. Does freedom of speech, for example, protect burning the American flag or posting pornographic material on the Internet? Does the ban against the establishment of a church mean that there can be no governmental aid to religion, or only that it must be given out on a non-preferential basis? Does capital punishment come within the prohibition against cruel and unusual punishment?
For Americans these questions are worthy of public policy debate, a debate that in no way indicates that people do not value these rights. In a diverse society, moreover, one would expect there to be multiple interpretations of rights. One way to understand not only what the rights mean but why the debates over meanings go on is to recognize that the concept of liberty, at least as it has evolved in the United States, is multi-faceted.
First, in all free societies there is a constant and unavoidable tension between liberty and responsibility. Every right has a corresponding duty. Sometimes the duty rests upon the person exercising the right; a common saying is that your right to swing your arm stops where my chin begins. Other times the exercise of a right by one person requires restraint on the part of others not to interfere; a man may be advocating radical ideas that do not sit well with his audience, but the police are restrained from interfering with his right to speak freely. The right to be secure in one's home means that the police are restrained from entering that abode unless they have secured a proper warrant.
Edmund Burke, on the difficulties of creating a free government (1790)
To make a government requires no great prudence. Settle the seat of power; teach obedience; and the work is done. To give freedom is still more easy. It is not necessary to guide; it only requires to let go the rein. But to form a free government; that is, to temper together these opposite elements of liberty and restraint in one consistent work, requires much thought; deep reflection; a sagacious, powerful, and combining mind.
This tension needs to be seen in most instances as healthy, because it creates a balance that prevents liberty from degenerating into anarchy, and restraint from growing into tyranny. In a democracy people have to respect the rights of others, if not out of courtesy, then out of the basic understanding that the diminution of rights for one person could mean the loss of that right for all people.
A second problem in the practice of rights is that we often do not have a good definition of what the right entails. Chief Justice John Marshall once described the Constitution as a document "of enumeration, not definition." By this he meant that although Congress had been given certain powers under the Constitution, the list of those powers did not define them. For example, Congress has control over interstate commerce, but for more than two centuries there has been a debate over exactly what constitutes "interstate" commerce.
One reason that the lack of definition has not led to turmoil is that the Constitution provided a mechanism that interprets the document. Even if people do not agree with what the Supreme Court – the nation's chief court – says about the meaning of a specific right, adherence to the rule of law requires obedience to that meaning. Since the Court's composition changes over time, and since the men and women who become justices understand and reflect evolving notions of rights, the Court has over the years been the chief agent for keeping constitutional rights pertinent to the needs of the time.
A third issue involves the breadth of the right. If one were to write a history of the United States, one could easily focus on how rights have evolved and reached out to cover more and more of the population. Voting for example was at one time restricted to white, male property-owners over the age of 21; it has expanded to include nearly all persons over the age of 18, men and women, whites and people of color, property-owners and those without property.
Even what appears to be the relatively straightforward provision guaranteeing the free exercise of religion raises questions of breadth. Clearly, it means more than just adherence to mainstream faiths; it assures dissidents and even non-believers that they will be left alone. But how far does one go in protecting sects whose practices, such as animal sacrifice or polygamy, are foreign to the nation's values? The Supreme Court has wrestled with these and related issues for more than 200 years, and as Justice Kennedy's comments, below, in a flag-burning case indicate, the Court is still faced with very difficult questions interpreting how far particular rights extend.
Justice Anthony Kennedy, concurring in Texas v. Johnson (1989)
The hard fact is that sometimes we must make decisions we do not like. We make them because they are right, right in the sense that the law and the Constitution, as we see them, compel the result. And so great is our commitment to the process that, except in the rare case, we do not pause to express distaste for the result, perhaps for fear of undermining a valued principle that dictates the decision. This is one of those rare cases.
That, over the course of the nation's history, there have been lapses in the protection of the rights of the people cannot be denied. Mormons were hounded out of the Eastern states, and persecuted in the West until they abandoned polygamy. The black slaves freed by the Civil War soon found themselves caught up in an extensive pattern of legally enforced racial discrimination in the South known as Jim Crow. Fear of radicals led to Red scares that seriously curtailed First Amendment rights after both the First and Second World Wars. Japanese-Americans were rounded up and interned during World War II.
While all these events may sound strange in a country that is defined by rights, the lapses did not result from groups who wanted to abandon the Bill of Rights completely. Rather, they came from well-meaning people who found the restrictions of the Bill of Rights inconvenient when confronted by what they saw as either a greater objective or a major threat to American survival.
Another important issue relates to the standing of rights not spelled out specifically in the Constitution. Everyone agrees that those rights explicitly mentioned in the first 10 amendments and elsewhere in the document are clearly important, and fall within the ambit of constitutional protection. But what about rights that are not specifically listed? Do they exist? The answer depends on how one interprets the Constitution, and it is a measure of how seriously Americans take their rights that the meaning and interpretation of the Constitution is and always has been a major issue in public discourse.
On the one hand, there is a school that believes the Constitution means what it says, and no more. The rights enumerated are to be protected, but no new rights should be created without constitutional amendment. When the question of the right of privacy arose in the 1960s, Justice Hugo L. Black, a strict constructionist, declared that "I like my privacy as well as the next one, but I am nevertheless compelled to admit that government has a right to invade it unless prohibited by some specific constitutional provision." But what about the Ninth Amendment, reserving unenumerated rights to the people? For some scholars and judges, the Ninth Amendment only refers to rights held by the people at the time of ratification in 1791, and without clear evidence of the existence of such a right at that time, then it cannot be imported into the constitution without the necessary amendment.
Opposed to this view are the adherents of what is often called "the living constitution," the belief that the Constitution must change and adapt to evolving political, social, and economic conditions in the country. Although interpretation still starts with the words in the text, the emphasis is less on the literal meaning of those words than on the spirit that animated them. For example, when the Supreme Court in the 1920s first heard a case involving wiretaps, a majority of the justices agreed that since the actual tap took place outside the building, then there had been no "search" within the meaning of that word as used in the Fourth Amendment, and therefore no need for a warrant. But eventually the Court recognized that new technology made it possible to invade the privacy of a home without actually entering it, so the Court reversed itself and ruled that wire-tapping constituted a search and required a warrant. In a famous remark, Justice William O. Douglas explained that the Framers could never have imagined a wiretap, because they had no idea of telephones. A "living constitution" takes these developments into account, and by finding that eavesdropping was in fact a search, expanded upon the intent of the Framers to guard the privacy of one's home. That same logic led a majority of the Court in the 1960s to agree that privacy had been one of the rights that the Founding generation had intended to protect.
Justice Robert H. Jackson, in the case of West Virginia Board of Education v. Barnette (1943)
The very purpose of a Bill of Rights was to withdraw certain subjects from the vicissitudes of political controversy, to place them beyond the reach of majorities and officials and to establish them as legal principles to be applied by the courts. One's right to life, liberty, and property, to free speech, to free press, freedom of worship and assembly, and other fundamental rights may not be submitted to vote; they depend on the outcome of no elections.
Like Jefferson, many of the Founders feared the power of the federal government and demanded a bill of rights to limit its powers. They knew that the idea of a bill of rights had a long history that stretched back to England's Magna Carta in 1215. The English promulgated a Bill of Rights in 1689, and in America the colony of Pennsylvania adopted a Charter of Liberties in 1701. Shortly after independence had been declared, Virginia adopted a declaration of rights authored by George Mason that both Jefferson and Madison had in mind when it came to drawing up the federal amendments. But by then a significant change had taken place, and there is an irony in that Madison and others saw the importance of a bill of rights not so much in restraining the government but in restraining the people.
The original declarations of rights in both England and her colonies had been designed to protect the people from the small elite that controlled the government. In the American colonies, however, government became more democratic in the 18th century, a development that in some ways triggered independence and that picked up momentum in the 1780s. Political power now resided in the hands of the many, and those who ruled did so not by the right of birth or wealth alone, but because they had secured the consent of the majority. So now the focal point of a bill of rights shifted to protecting the minority from the majority.
James Madison, letter to Thomas Jefferson (1788)
Wherever the real power in a Government lies, there is the danger of oppression. In our Government, the real power lies in the majority of the Community, and the invasion of private rights is chiefly to be apprehended, not from acts of government contrary to the sense of its constituents, but from acts in which the Government is the mere instrument of the major number of Constituents.
This may sound strange to some, especially since democracy is often defined as rule by the majority. But "the majority" is a complex term. People who agree on one issue may strongly disagree on another. Democratic government is a series of compromises among shifting majorities so that in the end most of the people are satisfied with most of the results most of the time. But on any one issue, a person may be in the minority, so simple self-interest dictates that there be special protection for minorities. A person who demands that an unpopular speaker be silenced may some day find that he is the one advocating an unwelcome position; in order to safeguard his freedom to speak out against the majority, he must accede to protection for all other advocates of different views to be protected as well. Similarly, in order to preserve one person's right to free exercise of religion, one has to acknowledge the right of those with different religious views to be free as well.
In the pages that follow, there is frequent reference to decisions of the United States Supreme Court, and this is deliberate, because the Court has played a unique role in the expansion and protection of individual liberties. There is a certain irony in the fact that in a democratic society, nine persons named to their position for life, removable only for misbehavior, and unaccountable to the people, are the arbiters of what the rights of the people mean. But Constitutions and Bills of Rights need enforcers, they need someone to say that this is the meaning of free speech in this situation, or that is unacceptable behavior by the police. Chief Justice Charles Evans Hughes once commented that "the Constitution is what the Supreme Court says it is," and there is no question that the rights of the people have been largely defined by the courts.
The courts are, however, more than an enforcement mechanism. People may differ widely over what certain rights mean, but are willing to accept the adjudication of those rights from an impartial tribunal. The Court has not always been right, and the justices who have served on it for the last two centuries have not seen themselves as infallible. Some of their decisions have stood the test of time; others have given way to new developments. Above all, the Court has established what the ideals of our rights are, it has defined the place those rights play in our civic life, and on some occasions – such as Justice Brandeis's exposition of free speech in Whitney v. California (1927) – the eloquence of the exposition has become part of our very traditions.
But as the members of the Court would themselves acknowledge, neither democracy nor the rights of the people could survive without the deep attachment of the people themselves to those basic principles. These rights not only make a free society possible, they define who Americans are. That is no small thing.