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ボランティア精神 – 「パートナーズ・イン・ヘルス」:耳を傾けることで築くコミュニティ

リサ・アームストロング

 

ハイチ地震被災者の救援に当たる、ボストン出身の上級看護師、エド・アルント(©Partners In Health)

ハイチ地震被災者の救援に当たる、ボストン出身の上級看護師、エド・アルント(©Partners In Health)

2010年1月12日のハイチ大地震。地震発生から何時間も経たないうちに、倒壊した建物のがれきの下に取り残された人たちの治療に当たるため、「パートナーズ・イン・ヘルス」(PIH)の関係者がハイチの首都ポルトープランスに到着し始めた。最初に着いたのはPIHのハイチ人医師とスタッフで、「ザンミ・ラサンテ(Zanmi Lasante)」(ハイチクレオール語で「パートナーズ・イン・ヘルス」を意味する)が本部を置くカンジュを含むハイチ各地の町から駆けつけた。

 

地震発生から6カ月の間に、米国の26州と6カ国から合計733人のPIHのボランティアがハイチに赴き、手足の骨折の手当てや分娩の介助、結核やマラリアなどの病気の治療に当たった。テント張りの市営病院や仮設診療所では、ハイチ人と米国人の医師・看護師が肩を並べて働いた。

 

PIHは、20年以上も前から農村部を中心にハイチで医療を提供してきた。今日では、100万人を超えるハイチ人避難民を収容するキャンプでもPIHのスタッフが活動している。じりじりと照りつける太陽の下、緑のテントの中で、スタッフは予防接種や出産前検診、基礎疾患の治療を行っている。「週に5,000人から7,000人を診察していた時期もありました。キャンプではこれまで合計10万人を超える人たちを診てきました」とPIHのドナ・バリーは言う。

 

ボストンにあるブリガム・アンド・ウィメンズ病院のナースプラクティショナー(上級看護師)エド・アルントは、「われわれの目標は、身の回りの環境をアメリカ流に変えようということではなく、既存の緊急対応システムを補強することでした」とPIHのブログへの投稿で書いている。「われわれはみな、患者さんたちに直接的なケアと精神的な支えを提供したくて、あの場にいたのです」

 

連帯が成功のカギ

 

2010年ハイチ地震で、負傷者の治療に一緒に取り組むPIHの米国人とハイチ人のボランティア(©Partners In Health)

2010年ハイチ地震で、負傷者の治療に一緒に取り組むPIHの米国人とハイチ人のボランティア(©Partners In Health)

連帯という概念が、PIHと他の慈善組織との際だった違いである。PIHの取り組みが成功したのは、貧困にあえぐコミュニティで暮らす人々に、何が必要なのか教えるのではなく、そうした人々の声を尊重し、欲しいものは何かに耳を傾けてきたからである。

 

「1980年代にはすでに明らかだったことですが、ハイチは、外から押しつけられた開発プログラムが次々に葬られる、開発プロジェクトの墓場そのものでした」。こう話すのは1983年に、ハイチの地域社会の指導者や英国出身のオフィーリア・ダールと共同で、ハイチに「ザンミ・ラサンテ」を設立したポール・ファーマー医師である。ファーマーは1987年、ダールとともに「パートナーズ・イン・ヘルス」を立ち上げることになる。

 

「こうしてPIHは、ハイチの人たちが運営し、ハイチ人を雇用する『ザンミ・ラサンテ』の連帯組織として発足したのです」とファーマーは語る。現在PIHは、ハイチのほか11カ国でパートナー団体や保健省と連携して活動している。レソト、米国、ドミニカ共和国、カザフスタン、グアテマラ、ブルンジ、ロシア、メキシコ、ルワンダ、ペルー、マラウイの各国である。

 

ファーマーが初めてハイチの中央台地を訪れたのは、1983年の春、ハーバード・メディカル・スクールに入学する前のことだった。ミルバレという市で、米国聖公会のフリッツ・ラフォンタン牧師が運営する小さな診療所でボランティアをした。ダールと出会ったのも、この診療所である。

 

このときダールは18歳。将来何をしたいかまだ決めかねていた。そこで、家族の勧めに従ってハイチにボランティアをしに来たのだった。

 

2010年ハイチ地震で被災した女性の話に耳を傾ける、PIHの共同設立者オフィーリア・ダール。現地の人の悩みを聞くことが、PIHの成功のカギである (©Ron Haviv/VII/Corbis)

2010年ハイチ地震で被災した女性の話に耳を傾ける、PIHの共同設立者オフィーリア・ダール。現地の人の悩みを聞くことが、PIHの成功のカギである (©Ron Haviv/VII/Corbis)

「それまで発展途上国に行ったことはありませんでした。ロンドンの郊外で育ち、ヨーロッパ大陸とアメリカには行ったことがありました。先進的な考えの、敬愛すべき親のもとで育ちました。しかし、極貧がどんなものなのか、間近に見たことはありませんでした。それは並大抵のことではありませんでした。強烈な印象を受けました。人々の貧困に背を向けて立ち去ることなどできませんでした。私は、圧倒されてしまったのです」とダールは語る。

 

ダールとファーマーはカンジュへ足を延ばした。カンジュは、ダム建設によって家も農地も水没してしまい、土地を失った貧しい人々が暮らす小さなコミュニティだった。人々は貧困にあえいでおり、基礎医療さえ提供されていなかった。ダールとファーマーは、こうした人々の力になりたいと思った。英国に戻ったダールは募金を始めた。最初の寄付は、ディナーパーティーで出会ったスーパーマーケットの役員からの500ポンドだった。このお金で、子どもたちの体重を量るためのはかりを購入した。

 

一方ファーマーは、もっと大きな規模で医療を提供するプロジェクトの構想を描いていた。ダールは、「ファーマーさんの構想は長期ビジョンでした。私たちは何か小さいことから始めてラフォンタン師とも手を組もうと考えたのです」と言う。

 

耳を傾けることで築く診療所

 

ダールとファーマーは土埃の舞う小道を歩き、いちばん必要なものは何か、人々に尋ねて回った。「つぶれかけた粗末な小屋の前で立ち止まる。すると子どものひとりが親を探しに行く。親は、トウモロコシを育てようと猫の額ほどの埃っぽい土地を必死に耕していた」とダールは回想する。いちばん必要なものは何か。その答えはほとんどいつも決まっていた。それは診療所だった。

 

2010年ハイチ地震で被災した子どもの心拍を聞くポール・ファーマー医師。「パートナーズ・イン・ヘルス」の共同設立者である。(©AP Images/PRNews Foto/Austin College)

2010年ハイチ地震で被災した子どもの心拍を聞くポール・ファーマー医師。「パートナーズ・イン・ヘルス」の共同設立者である。(©AP Images/PRNews Foto/Austin College)

現地のコミュニティと連携して取り組むという発想から、組織の名称が決まった。「ザンミ・ラサンテ」、すなわち「パートナーズ・イン・ヘルス」である。ダールとファーマーはチームを組んだ。やがてそこに、ファーマーの大学時代のルームメートだったトッド・マコーマックと、もう1人のハーバード大学メディカル・スクールの学生ジム・ヨング・キム、さらにカンジュでのPIH地域医療プロジェクト第1号の立ち上げに数百万ドルを寄付したボストンのビジネスマン、トム・ホワイトが加わった。

 

「私たちは、無断居住者の集落でPIHを始動させたのです」とファーマーは言う。「そこで出会った人たちの何人かは、今も一緒に仕事をしています。そこがPIHの素晴らしいところです。今も一緒に働いているということが」

 

PIHの取り組みは総合的である。医療だけでなく、食糧や学校教育など生活に基本的に必要な物も提供する。「世界中の薬をすべて手渡したところで、家に帰れば屋根もないし、水も食糧も手に入らないとなれば、みんな死ぬしかないのです」とダールは言う。PIHの20年前の活動によって予防接種を受けた子たちは今、健康な成人になっている。親たちの多くとは異なり、彼らには、教育も、十分な食事も、医療もあったのだ。

 

栄養豊富な食品「ノウリマンバ」を作るためにピーナツの仕分けするハイチの女性たち。ハイチの農民がピーナツ栽培とノウリマンバ生産に乗り出すのをPIHは支援した

栄養豊富な食品「ノウリマンバ」を作るためにピーナツの仕分けするハイチの女性たち。ハイチの農民がピーナツ栽培とノウリマンバ生産に乗り出すのをPIHは支援した

2010年ハイチ地震の後も、PIHが続けている活動は緊急医療の提供にとどまらない。

 

「私たちは、農作物の生産量を増やしました」とバリーは言う。「PIHはカンジュ近郊に農園を持っています。そこで地震直後にトウモロコシ栽培に取りかかったのです。被災者が中央台地へと移住し始めており、食糧需要が高まると分かっていたからです」。PIHは、ハイチクレオール語で「農業のパートナー」を意味する「ザンミ・アグリコ(Zanmi Agrikol)」と共同で、ピーナツをベースにした食品のノウリマンバ(Nourimanba)を増産して栄養失調と闘い、1,000世帯以上に農耕具を提供した。

 

今日のPIHのスタッフとボランティアは、自分たちがしている仕事を、ダールとファーマーがカンジュで最初の診療所を立ち上げた頃にしていた仕事とほぼ同じだと考えている。

「ハイチに行くというのは、気が遠くなるほどたいへんなことです。当時も、気が遠くなるほどたいへんなことでした」とダールは言う。「しかし大事なのは、『貧困と闘いに行く』とか『ハイチ全土に森林をよみがえらせる』とか意気込むのではなく、自分が力になれる小さな分野に集中することです。長期展望を持って、パートナーシップを組み、互いに忠誠を尽くし、良いときも悪いときも連携して事に当たることです。」

 

リサ・アームストロングはフリーランスライターで、「危機報道ピュリッツァーセンター」にハイチ地震の余波の取材報告を寄稿している。


出典:eJournal The Spirit of Volunteerism”
*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

 

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The Spirit of Volunteerism

Partners in Health: Listening Builds a Community
by Lisa J. Armstrong
Listening to Haitians’ needs builds a clinic and a community.