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国務省出版物

米国の歴史と民主主義の基本文書大統領演説

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ゲティスバーグ演説 (1863年)

エイブラハム・リンカーン

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lincoln エイブラハム・リンカーン (中央)

米国史上最も重要な演説の1つと見なされているエイブラハム・リンカーンの「ゲティスバーグ演説」は、アメリカ合衆国が拠って立つ自由と平等の原則 を表現することに成功している。そして米国の生存のために戦い、命を落とした人々の栄誉を誇らかに称えている。リンカーンは演説の中で、米国のための「自 由の新たな誕生」に言及した。演説は1863年11月19日、ゲティスバーグ国立戦没者墓地の開所式で行われた。全体でわずか2分ほどの演説だった。

ゲティスバーグの戦いは、1863年7月1日から3日にかけて、メリーランド州ボルチモアの北西約50マイル(約80km)、ペンシルベニア州の田 舎町ゲティスバーグで起きた。南部連合軍は、ロバート・リー将軍の北バージニア軍を先頭に、合衆国の領土を侵略した。戦場をバージニアの外に出し、合衆国 軍を劣勢に追い込むのが狙いだった。リー将軍の兵士は、ジョージ・ミード将軍率いる合衆国ポトマック軍と戦った。戦いが7月3日に終結した時、双方は4万 5000人以上の死傷者を出しており、この戦闘を今日に至るまで最も悲惨なものの1つにした。南部連合軍は1863年7月4日、バージニアに撤退した。多 くの学者は、ゲティスバーグの戦いが南北戦争の転換点となったと見ている。

 


ゲティスバーグ演説

 

87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。

今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる 国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生 き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに 適切であり好ましいことである。

しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。清めささげることもできない。聖別することもできない。足すことも引 くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげて いるからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決し て忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしない ために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれ がここで固く決意することである。

 


*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

 

 

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Gettysburg Address (1863)

Abraham Lincoln

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lincoln Abraham Lincoln (center)

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that the nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

But, in a larger sense, we can not dedicate - we can not consecrate - we can not hallow - this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us - that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion - that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain - that this nation, under God, shall have a new birth of freedom - and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.