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米国の歴史と民主主義の基本文書大統領演説

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平和のための原子力(1953 年)

ドワイト・D・アイゼンハワー

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eisen 第34代大統領 ドワイト・D・アイゼンハワー

この演説は、1953 年12 月8 日、ニューヨークの国連本部 で開催された原子力の平和利用に関する国連総会で、ドワイ ト・D・アイゼンハワー米大統領が行ったものである。

 

 

 

議長、および国連総会成員の皆さま、

ハマーショルド事務総長から、バミューダにいた私に、今 回の総会で演説してほしいという招待が届いたとき、私は ちょうど英仏両国の首相ならびに外相との一連の会議を始め る矢先だった。会議の議題は、世界が抱えるいくつかの問題 に関するものだった。

その後バミューダ会議の期間中、私の胸中には常に、大きな名誉が私を待っているという思いがあった。そして、本日この場所に立って、国連総会で演説をすると いう名誉を与えられた私に、それが現実のものとなったのである。

私は、皆さんの前で演説するという栄誉に感謝すると同時に、この総会を目の当たりにして、高揚感を 味わっている。

一つの組織の下で、これほど多くの人々の、これほど大きな希望が一堂に集まったことは、歴史上なかっ た。そして、ここ数年の重苦しい時期にあって、皆さんがここで成された討論や決定は、すでにそうした 希望の一部を実現している。

しかしながら、行く先にはまだ大きな試練と大いなる成果が待ち受けている。私は、こうした成果が実 現するとの確かな期待の中で、現在自らが有している職責をもって、米国政府がこれまでどおりこの機関 を確固たる立場で支えていくことを断言する。そして、わが国がこうした支援を行う背景には、この世界 におけるすべての国々の恒久的平和ならびにすべての人類の幸福と健康を実現する知恵、勇気、そして忠 誠を、各国が十分に提供し合うとの信念がある。

私がこの場を、バミューダ会議に関する米国の一方的な報告を行う機会とすることがふさわしくないの は明白である。しかしながら、あえて言及するならば、あの美しい島で行われた討議において、われわれ 出席者が、国連憲章で明確に示されているのと同じ、世界平和と人類の尊厳という偉大な概念の実現への 道を追求していたことを断言する。

他方、いかに希望に満ちて聞こえようとも、偽善的な決まり文句をただ唱えることも、この素晴らしい 機会に求められていることではない。

そこで私は、この場を、過去何カ月もの間、立法府および行政府における私の同僚の、そして私自身の 脳裏や胸中にあったいくつかのことを皆さんに伝える場にしようと決意した。これらのことは、当初は米 国民に対してだけ話そうと予定していた考えだった。

私は、世界に危機が存在するとすれば、それは、すべての国々、すべての人々に対しても同じように危 機であり、同様に、ある1 つの国の胸のうちに望みが存在するとすれば、それを世界中の国々が共有すべ きである、との深い信念を持っており、これは米国民の信念でもある、と理解している。

そして、たとえ極めて小さな方策であっても、今日の世界の緊張状態を緩和することを目的とした提案 を行うとすれば、国連総会の加盟国ほどそれを披露するにふさわしい聴衆はあるまいと思われる。

私は本日の演説を行うに当たり、私にとってはある意味では新しい言葉、軍人として人生の大半を送っ てきた私が、でき得ることなら決して使いたくはなかった言葉で、あえて話す必要があると感じている。

その新しい言葉とは、核戦争に関する用語である。

核の時代は、非常に速いペースで進行しており、世界中の人々は、われわれすべてにとって極めて重要 なこの分野の進展における現在の局面を、少なくとも相対的に、ある程度理解している必要がある。従っ て、もし世界の人々が平和を求めて知的な探求を行おうとするならば、現状における重要な事実を認識し ていなければならないことは明らかである。

核の危機や原子力に関して私が述べることは、必然的に米国の観点からの話となる。それが私の知る唯 一の明確な事実だからである。しかしこの問題は、その性格上、単に一国の問題ではなく、世界的な議論 を要する問題であることは、私がこの総会の場で訴えるまでもない。

1945 年7 月16 日、米国は世界最初の核爆発実験を行った。1945 年のその日以降、米国は42 回の核爆 発実験を実施している。

現在の核爆弾は、核時代の幕開けをもたらした兵器の25 倍以上の威力を持ち、また水素爆弾は、TNT 火薬で数百万トン相当の爆発力にまで達している。

現在の米国の核兵器備蓄は、言うまでもなく日々増加しているが、現時点で、第2 次世界大戦の全期間 中、すべての戦域において、あらゆる爆撃機および銃から発射されたすべての爆弾と砲撃を合わせた爆発 力の数倍を超えている。

艦上あるいは陸上基地発進のいずれにおいても、今や、単一の航空群が、第2 次世界大戦の全期間を通じて英国に投下されたすべての爆弾の爆発力を超える破壊兵器を、到達可能ないかなる標的に対しても運搬できる状態となっている。

核兵器は、言うまでもなく、規模と種類においても、目覚ましい進歩を遂げてきた。核兵器の進歩たる やすさまじいものがあり、わが国の軍隊において、事実上、通常兵器の地位にさえ登りつめた。米国では、 陸・海・空軍と海兵隊まで、すべてが核兵器を軍事利用できる能力を有している。

しかし、原子力の恐怖に満ちた機密と恐ろしい機動力は、われわれだけのものではないのである。

第1 に、この機密は、わが国の友好国であり同盟国である英国とカナダが保有している。両国の天才的 な科学者たちは、わが国の最初の発見、そして核爆弾の設計の際に多大な貢献をしている。

さらにこの機密は、ソ連の知るところでもある。

ソ連は、この数年間、核兵器に莫大な資源を投下している旨を、わが国に伝えている。この期間、ソ連 は、少なくとも1 回の熱核反応実験を含む、一連の核爆弾の爆発実験を行っている。

米国がいったんは、いわゆる「核の独占」を手にしていたとしても、そうした独占はすでに数年前に存 在しなくなっている。従って、わが国がこの分野で他よりも早いスタートを切ることによって、いわば大 幅な数量的有利性をこつこつ蓄積してきたとはいえ、今日の核の現実を見ると、さらに重要な意味を持つ2 つの事実が存在している。

第1 に、現在いくつかの国家によって所有されている知識は、最終的に他の国々、恐らくはすべての 国々に共有されると考えられることである。

そして第2 に、兵器の数という点で極めて優勢であり、また、その結果として圧倒的な報復能力を有し ていたとしても、それ自体では、奇襲攻撃による大規模な物質的被害や人命の犠牲に対する予防策にはな らないということである。

自由世界は、少なくともこうした事実を漠然と認識しており、当然のことながら、警戒態勢や防衛シス テムの大規模な計画に乗り出している。こうした計画は、今後さらに加速され、拡大されると思われる。

しかしながら、兵器や防衛システムに対する莫大な出費が、いかなる国家においても都市や国民の絶対 的安全を保証できると考えてはならない。核爆弾の恐ろしい算術は、そうした簡単な解答を許してくれな い。最大限の能力を持つ防衛に対してでさえ、奇襲攻撃に効果を上げる最小限の核爆弾を所有する侵略者 であれば、恐らく、限定された攻撃対象に対し十分な数の爆弾を投下し、決定的な損害をもたらすことが できる。

万一そうした核攻撃が米国に対して行われた場合、わが国は迅速かつ断固として対応する。しかしなが ら、米国の防衛能力は侵略者に対し多大な損害を加え得るものである、あるいは、米国の報復能力は侵略者の国土が荒廃するほど大きなものである、と私が言ったとしても、それはすべて、事実ではあるものの、 米国の目的と希望を真に表現してはいない。

そこでためらってしまうと、2 つの核の巨人が、震える世界を舞台に悪意をこめて永久ににらみ合う運命 に陥ったという考えの絶望的な終末を認めることになる。そこで足を止めてしまうと、文明の破壊―世代 から世代へと受け継がれてきた他に代えがたい人類の遺産の消滅―の可能性と、人類が野蛮な状態から秩 序を得て、公正、そして正義へと上に向かう古来の苦闘の道筋を再び最初から繰り返せという宣告を、な すすべもなく受け入れることになる。

そうした絶望的な状態の中では、どんなに分別ある人間でも、勝利を見出すことができるはずがない。 こうした人類の荒廃や破壊と自らの名が、歴史の中で結び付けられることを望む者があるだろうか。

歴史の何ページかには、確かに「偉大な破壊者」の顔が時おり記録されてはいる。ただし、歴史書全体 を見れば、そこには人類の果てしない平和の希求と、人類が神から与えられた創造の能力が示されている。

米国が米国としての存在を示したいのは、個々の歴史のページではなく、歴史という1 冊の本全体にお いてである。わが国は、破壊的ではなく、建設的でありたいと望んでいる。国家間の戦争ではなく、合意 を欲している。他のすべての国の人々が自分たちの生活様式を選ぶことのできる権利を等しく享受してい るとの確信を持って、米国は自らも自由であることを欲している。

従って、わが国の目標は、われわれが恐怖の暗闇から光に向かって進むことを助け、いかなる場所にお いても人類の心、人類の希望、そして人類の魂が平和や幸福や健康を手にすべく前進できる道を見つけ出 すことである。

そうした追求においては、忍耐を欠いてはならないということを、私は理解している。

現在われわれが経験しているような分断された世界においては、ただ1 つの劇的な行為によって救済が もたらされるわけではないことを、私は理解している。

いつの日か、世界が自らを見つめ、この世界の他の国々で、相互に平和を確信できる新しい環境が芽生 えていることを実感できるまで、長い期間をかけて、多くの段階を踏んでいかなければならないことを、 私は理解している。

しかし、何にも増して、私が理解しているのは、われわれがこうした行動を起こすのが、まさに今だ、 ということである。

米国とその同盟国である英仏両国は、過去数カ月にわたり、こうした行動に踏み出していくための努力 を行っている。われわれが、話し合いの場を回避している、などとは誰にも言わせない。

米国、英国、およびフランスが、分割されたドイツの問題についてソ連との交渉を長い間求めていることは周知の事実である。

この3 カ国が、朝鮮問題についての交渉を長い間求めていることも、同様に知られている。

ごく最近になって、われわれのもとにソ連から、事実上4 大国会議を開催したいという意欲の表明が伝 えられた。わが国は、同盟国である英国およびフランスとともに、ソ連からのこの覚書の内容に、これま で示されてきたような受け入れがたい条件が記されていないことを歓迎した。

われわれが発表したバミューダ共同宣言からもすでに明らかなように、米国、英国、およびフランスは、 早急にソ連と会合を開くことで合意に達している。

米国政府は、この会合に対して、期待を込め、真摯に取り組んでいる。われわれは、この会合で目に見 える成果を得ることによって、平和への一歩を踏み出すという、ただ1 つの目標に向かってあらゆる努力 を傾ける所存である。これこそが国際緊張の緩和に向けた唯一の確実な道なのである。

われわれはこれまでもそうだったが、今後も、ソ連が正当に所有するものを放棄するよう同国に求める ことはない。

またわれわれは、ロシアの人々がわが国の敵であり、われわれはロシアと友好的かつ有益な関係を持っ て付き合うことを一切望まない、とは決して言わない。

むしろ、われわれは、来るべき4 大国会議がソ連との関係構築の第1 歩となり、東西の国民の間の自由 な相互対話を将来的にもたらすものとなることを望んでいる。こうした対話こそが、平和的な信頼関係を 築くために必要な理解を進める唯一の確実な、人間味あふれる手段なのである。

東ドイツ、占領下にあるオーストリア、および東欧諸国に現在くすぶっている不満に代え、われわれは、 いかなる国家も他の国家に対して脅威とならず、とりわけロシアの人々に対して脅威となることのない、 欧州自由諸国間の友好的な関係を求めている。

また、アジアで混乱、紛争、および窮状を乗り越えれば、そうした国々の人々が天然資源を開発し、生 活を向上させる平和的機会を得られるようになることを、われわれは願っている。

これらは無駄な作業でも皮相な展望でもない。これらの背景には、戦争によってではなく、無償譲渡や 平和的交渉によって最近独立を勝ち取った国々の物語がある。また、西側の人々が、貧しい人々、そして 飢饉、干ばつ、および天災の一時的な被害を受けた人々に対し積極的な援助を与えたこともすでに報告さ れている。

こうした活動は、平和の行いである。そしてこれらは、平和を意図した約束や主張よりも強く訴えるも のである。

しかしながら私は、いつまでも過去の提案を繰り返したり、過去の行いを再び説明したりしたくない。 今の時代の重要性はきわめて大きいので、平和に至る達成方法を、それらがいかに実現不可能に思えよう とも、すべて試していかなければならない。

こうした新たな平和への道筋で、これまで十分には試されていないものが少なくとも1 つ存在している。 それは、現在国連総会で提示されている道筋である。

1953 年11 月18 日に、この国連総会は決議で、以下の提案を行った。「軍縮委員会は、主要関係大国の 代表によって構成され、受け入れ可能な解決策を個別に模索する小委員会の設置の妥当性を検討 し、・・・そうした解決策を総会および安全保障理事会に、1954 年9 月1 日までに報告するものとす る」。

米国は、国連総会の提案に留意し、世界の平和のみならず、世界の存在自体にも影を落とす核軍備競争 に対する「受け入れ可能な解決策」を模索するために、「主要関係国」とされる諸国と早急に個別会合を行 う用意がある。

われわれは、そうした個別の外交交渉に、新たな構想を持ち込む所存である。

米国は、軍事目的の核物質の単なる削減や廃絶以上のものを求めていく。

核兵器を兵士たちの手から取り上げることだけでは十分とは言えない。そうした兵器は、核の軍事用の 包装を剥ぎ取り、平和のために利用する術を知る人々に託さなければならない。

米国は、核による軍備増強という恐るべき流れを全く逆の方向に向かわせることができるならば、この 最も破壊的な力が、すべての人類に恩恵をもたらす偉大な恵みとなり得ることを認識している。

米国は、核エネルギーの平和利用は、将来の夢ではないと考えている。その可能性はすでに立証され、 今日、現在、ここにある。世界中の科学者および技術者のすべてがそのアイデアを試し、開発するために 必要となる十分な量の核分裂物質を手にすれば、その可能性が、世界的な、効率的な、そして経済的なも のへと急速に形を変えていくことを、誰一人疑うことはできない。

原子力の脅威が、人々の、そして東西の国々の政府の脳裏から消え始める日を早くもたらすために、現 時点で講ずることのできる措置がいくつかある。

そこで私は以下の提案を行う。

主要関係国政府は、慎重な考慮に基づき、許容される範囲内で、標準ウランならびに核分裂物質の各国 の備蓄から国際的な原子力機関に対して、それぞれ供出を行い、今後も供出を継続する。そうした国際機 関は、国連の支援の下で設立されることが望ましい。

そうした供出の割合、手続き、およびその他の詳細については、先に言及した「個別交渉」の中で適正 に定めるものとする。

米国はそうした行動の探求を、誠意をもって行う用意がある。米国のパートナーとなる国で、同様の誠 意ある行動を取る国はいずれも、米国が、理不尽な相手国でも卑劣な相手国でもないことを理解すること になる。

この計画に従った最初の、そしてそれに続く初期の供出は、当然ながら量的には少ないものとなる。し かしながら、この提案は、完全に受け入れ可能な世界的査察・管理体制を構築するという、いらだちや相 互の不信感を招きやすい試みを必要とせずに実施し得る、という大きな長所を持っている。

国際原子力機関には、供出された核分裂物質ならびに他の物質の保管・貯蔵・防護を行う責務を持たせ ることもできる。そして科学者たちが知恵を絞り、そうして蓄えた核分裂物質が、何者かによって不意打 ちで強奪されることが基本的に不可能となるよう特別の安全体制を講ずる。

さらにこの原子力機関のより重要な責務は、そうした核分裂物質が人類の平和の希求に資する利用目的 で使われる方法を工夫することになるだろう。例えば、核エネルギーを農業や医療や、その他の平和的活 動のニーズのために応用することを目的として、専門家たちを動員することになる。また、世界の電力が 不足している地域で、あり余る電力を提供することもその特別な目的となる。そうした体制によって、核 物質を供出する各国は、人類への脅威ではなく、そのニーズに貢献することに、国力の一部を捧げること になる。

米国は、他の「主要関係国」と共に、核エネルギーのこうした平和利用を促進する計画策定に着手する ことは、何よりも喜ばしい限りであり、また誇らしく思うものである。

こうした「主要関係国」には、当然、ソ連も含まなければならない。

私は、以下の計画を米国連邦議会に提出する用意があり、これらはそこで承認されると強く期待してい る。

第1 に、核分裂物資の平時における最も有効な利用法に関する世界的調査を促進するとともに、その目 的のために妥当であるすべての実験の実施に必要な材料がすべて確実に準備できるようにする。

第2 に、世界の核備蓄の潜在的な破壊力の削減に着手する。

第3 に、この文明が開化した時代に、東西両方の陣営の世界の列強が、戦争のための軍備増強よりも人 類の向上心に関心があることを、すべての国のあらゆる人々が認識できるようにする。

第4 に、世界が、恐怖による無気力から脱し、平和へと積極的に進展を遂げられるように、平和的対話 の新たな道筋を開き、官民両方の話し合いによって解決しなければならない多くの困難な問題に対し、新たな準備に取りかかる。

原爆(投下)という暗い背景を持つ米国としては、力を誇示することのみを望むのではなく、平和への 願望と期待をも示したいと望んでいる。

来たるべき数カ月間は、重大な決断を多々伴うだろう。それらの決断は、この総会で、世界各国の首都 や軍司令部で、統治者であれ統治される側であれ、あらゆる場所の人々の心の中で、こうした活動を脅威 から脱出させ平和へと主導する決断となってほしいと願う。

そうした極めて重大な決断を下すに当たり、米国は、恐ろしい原子力のジレンマを解決し、この奇跡の ような人類の発明を、人類滅亡のためではなく、人類の生命のために捧げる道を、全身全霊を注いで探し 出す決意を、皆さんの前で、ということは世界の前で、誓うものである。

本日私をここにお招きいただき、非常に丁重にこの演説に耳を傾けていただいたことに対し、代表団の 皆さんに再び感謝したい。

注:大統領の最初の呼びかけは、ビジャヤ・パンディット国連総会議長に向けたものである。

 

 


詳細:Atoms for Peace , The Dwight D. Eisenhower Presidential Library and Museum
*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

 

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Atoms For Peace(1953)

Dwight D. Eisenhower

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eisenThe 34th President Dwight D. Eisenhower

Madame President, Members of the General Assembly:

When Secretary General Hammarskjold’s invitation to address this General Assembly reached me in Bermuda, I was just beginning a series of conferences with the Prime Ministers and Foreign Ministers of Great Britain and of France. Our subject was some of the problems that beset our world.

 

During the remainder of the Bermuda Conference, I had constantly in mind that ahead of me lay a great honor. That honor is mine today as I stand here, Privileged to address the General Assembly of the United Nations.

At the same time that I appreciate the distinction of addressing you, I have a sense of exhilaration as I look upon this Assembly.

Never before in history has so much hope for so many people been gathered together in a single organization. Your deliberations and decisions during these somber years have already realized part of those hopes.

But the great test and the great accomplishments still lie ahead. And in the confident expectation of those accomplishments, I would use the office which, for the time being, I hold, to assure you that the Government of the United States will remain steadfast in its support of this body. This we shall do in the conviction that you will provide a great share of the wisdom, the courage, and the faith which can bring to this world lasting peace for all nations, and happiness and well-being for all men.

Clearly, it would not be fitting for me to take this occasion to present to you a unilateral American report on Bermuda. Nevertheless, I assure you that in our deliberations on that lovely island we sought to invoke those same great concepts of universal peace and human dignity which are so clearly etched in your Charter.

Neither would it be a measure of this great opportunity merely to recite, however hopefully, pious platitudes.

I therefore decided that this occasion warranted my saying to you some of the things that have been on the minds and hearts of my legislative and executive associates and on mine for a great many months--thoughts I had originally planned to say primarily to the American people.

I know that the American people share my deep belief that if a danger exists in the world, it is a danger shared by all--and equally, that if hope exists in the mind of one nation, that hope should be shared by all.

Finally, if there is to be advanced any proposal designed to ease even by the smallest measure the tensions of today’s world, what more appropriate audience could there be than the members of the General Assembly of the United Nations?

I feel impelled to speak today in a language that in a sense is new--one which I, who have spent so much of my life in the military profession, would have preferred never to use.

That new language is the language of atomic warfare.

The atomic age has moved forward at such a pace that every citizen of the world should have some comprehension, at least in comparative terms, of the extent of this development of the utmost significance to every one of us. Clearly, if the people of the world are to conduct an intelligent search for peace, they must be armed with the significant facts of today’s existence.

My recital of atomic danger and power is necessarily stated in United States terms, for these are the only in controvertible facts that I know. I need hardly point out to this Assembly, however, that this subject is global, not merely national in character.

On July 16, 1945, the United States set off the world’s first atomic explosion. Since that date in 1945, the United States of America has conducted 42 test explosions.

Atomic bombs today are more than 25 times as powerful as the weapons with which the atomic age dawned, while hydrogen weapons are in the ranges of millions of tons of TNT equivalent.

Today, the United States’ stockpile of atomic weapons, which, of course, increases daily, exceeds by many times the explosive equivalent of the total of all bombs and all shells that came from every plane and every gun in every theatre of war in all of the years of World War II.

A single air group, whether afloat or land-based, can now deliver to any reachable target a destructive cargo exceeding in power all the bombs that fell on Britain in all of World War II.

In size and variety, the development of atomic weapons has been no less remarkable. The development has been such that atomic weapons have virtually achieved conventional status within our armed services. In the United States, the Army, the Navy, the Air Force, and the Marine Corps are all capable of putting this weapon to military use.

But the dread secret, and the fearful engines of atomic might, are not ours alone.

In the first place, the secret is possessed by our friends and allies, Great Britain and Canada, whose scientific genius made a tremendous contribution to our original discoveries, and the designs of atomic bombs.

The secret is also known by the Soviet Union.

The Soviet Union has informed us that, over recent years, it has devoted extensive resources to atomic weapons. During this period, the Soviet Union has exploded a series of atomic devices, including at least one involving thermo-nuclear reactions.

If at one time the United States possessed what might have been called a monopoly of atomic power, that monopoly ceased to exist several years ago. Therefore, although our earlier start has permitted us to accumulate what is today a great quantitative advantage, the atomic realities of today comprehend two facts of even greater significance.

First, the knowledge now possessed by several nations will eventually be shared by others--possibly all others.

Second, even a vast superiority in numbers of weapons, and a consequent capability of devastating retaliation, is no preventive, of itself, against the fearful material damage and toll of human lives that would be inflicted by surprise aggression.

The free world, at least dimly aware of these facts, has naturally embarked on a large program of warning and defense systems. That program will be accelerated and expanded.

But let no one think that the expenditure of vast sums for weapons and systems of defense can guarantee absolute safety for the cities and citizens of any nation. The awful arithmetic of the atomic bomb does not permit any such easy solution. Even against the most powerful defense, an aggressor in possession of the effective minimum number of atomic bombs for a surprise attack could probably place a sufficient number of his bombs on the chosen targets to cause hideous damage.

Should such an atomic attack be launched against the United States, our reactions would be swift and resolute. But for me to say that the defense capabilities of the United States are such that they could inflict terrible losses upon an aggressor--for me to say that the retaliation capabilities of the United States are so great that such an aggressor’s land would be laid waste--all this, while fact, is not the true expression of the purpose and the hope of the United States.

To pause there would be to confirm the hopeless finality of a belief that two atomic colossi are doomed malevolently to eye each other indefinitely across a trembling world. To stop there would be to accept helplessly the probability of civilization destroyed--the annihilation of the irreplaceable heritage of mankind handed down to us generation from generation--and the condemnation of mankind to begin all over again the age-old struggle upward from savagery toward decency, and right, and justice.

Surely no sane member of the human race could discover victory in such desolation. Could anyone wish his name to be coupled by history with such human degradation and destruction.

Occasional pages of history do record the faces of the ”Great Destroyers” but the whole book of history reveals mankind’s never-ending quest for peace, and mankind’s God-given capacity to build.

It is with the book of history, and not with isolated pages, that the United States will ever wish to be identified. My country wants to be constructive, not destructive. It wants agreement, not wars, among nations. It wants itself to live in freedom, and in the confidence that the people of every other nation enjoy equally the right of choosing their own way of life.

So my country’s purpose is to help us move out of the dark chamber of horrors into the light, to find a way by which the minds of men, the hopes of men, the souls of men every where, can move forward toward peace and happiness and well being.

In this quest, I know that we must not lack patience.

I know that in a world divided, such as our today, salvation cannot be attained by one dramatic act.

I know that many steps will have to be taken over many months before the world can look at itself one day and truly realize that a new climate of mutually peaceful confidence is abroad in the world.

But I know, above all else, that we much start to take these steps--now.

The United States and its allies, Great Britain and France, have over the past months tried to take some of these steps. Let no one say that we shun the conference table.

On the record has long stood the request of the United States, Great Britain, and France to negotiate with the Soviet Union the problems of a divided Germany.

On that record has long stood the request of the same three nations to negotiate the problems of Korea.

Most recently, we have received from the Soviet Union what is in effect an expression of willingness to hold a Four Power meeting. Along with our allies, Great Britain and France, we were pleased to see that this note did not contain the unacceptable preconditions previously put forward.

As you already know from our joint Bermuda communique, the United States, Great Britain, and France have agreed promptly to meet with the Soviet Union.

The Government of the United States approaches this conference with hopeful sincerity. We will bend every effort of our minds to the single purpose of emerging from that conference with tangible results toward peace--the only true way of lessening international tension.

We never have, we never will, propose or suggest that the Soviet Union surrender what is rightfully theirs.

We will never say that the people of Russia are an enemy with whom we have no desire ever to deal or mingle in friendly and fruitful relationship.

On the contrary, we hope that this coming Conference may initiate a relationship with the Soviet Union which will eventually bring about a free inter mingling of the peoples of the east and of the west--the one sure, human way of developing the understanding required for confident and peaceful relations.

Instead of the discontent which is now settling upon Eastern Germany, occupied Austria, and countries of Eastern Europe, we seek a harmonious family of free European nations, with none a threat to the other, and least of all a threat to the peoples of Russia.

Beyond the turmoil and strife and misery of Asia, we seek peaceful opportunity for these peoples to develop their natural resources and to elevate their lives.

These are not idle works or shallow visions. Behind them lies a story of nations lately come to independence, not as a result of war, but through free grant or peaceful negotiation. There is a record, already written, of assistance gladly given by nations of the west to needy peoples, and to those suffering the temporary effects of famine, drought, and natural disaster.

These are deeds of peace. They speak more loudly than promises or protestations of peaceful intent.

But I do not wish to rest either upon the reiteration of past proposals or the restatement of past deeds. The gravity of the time is such that every new avenue of peace, no matter how dimly discernible, should be explored.

These is at least one new avenue of peace which has not yet been well explored--an avenue now laid out by the General Assembly of the United Nations.

In its resolution of November 18th, 1953 this General Assembly suggested--and I quote--”that the Disarmament Commission study the desirability of establishing a sub-committee consisting of representatives of the Powers principally involved, which should seek in private an acceptable solution . . . and report on such a solution to the General Assembly and to the Security Council not later than 1 September 1954.”

The United States, heeding the suggestion of the General Assembly of the United Nations, is instantly prepared to meet privately with such other countries as may be ”principally involved,” to seek ”an acceptable solution” to the atomic armaments race which over shadows not only the peace, but the very life, of the world.

We shall carry into these private or diplomatic talks a new conception.

The United States would seek more than the mere reduction or elimination of atomic materials for military purposes.

It is not enough to take this weapon out of the hands of the soldiers. It must be put into the hands of those who will know how to strip its military casing and adapt it to the arts of peace.

The United States knows that if the fearful trend of atomic military build up can be reversed, this greatest of destructive forces can be developed into a great boon, for the benefit of all mankind.

The United States knows that peaceful power from atomic energy is no dream of the future. That capability, already proved, is here--now--today. Who can doubt, if the entire body of the world’s scientists and engineers had adequate amounts of fissionable material with which to test and develop their ideas, that this capability would rapidly be transformed into universal, efficient, and economic usage.

To hasten the day when fear of the atom will begin to disappear from the minds of people, and the governments of the East and West, there are certain steps that can be taken now.

I therefore make the following proposals:

The Governments principally involved, to the extent permitted by elementary prudence, to begin now and continue to make joint contributions from their stockpiles of normal uranium and fissionable materials to an international Atomic Energy Agency. We would expect that such an agency would be set up under the aegis of the United Nations.

The ratios of contributions, the procedures and other details would properly be within the scope of the ” private conversations” I have referred to earlier.

The United States is prepared to under take these explorations in good faith. Any partner of the United States acting in the same good faith will find the United States a not unreasonable or ungenerous associate.

Undoubtedly initial and early contributions to this plan would be small in quantity. However, the proposal has the great virtue that it can be under taken without the irritations and mutual suspicions incident to any attempt to set up a completely acceptable system of world-wide inspection and control.

The Atomic Energy Agency could be made responsible for the impounding, storage, and protection of the contributed fissionable and other materials. The ingenuity of our scientists will provide special safe conditions under which such a bank of fissionable material can be made essentially immune to surprise seizure.

The more important responsibility of this Atomic Energy Agency would be to devise methods where by this fissionable material would be allocated to serve the peaceful pursuits of mankind. Experts would be mobilized to apply atomic energy to the needs of agriculture, medicine, and other peaceful activities. A special purpose would be to provide abundant electrical energy in the power-starved areas of the world. Thus the contributing powers would be dedicating some of their strength to serve the needs rather than the fears of mankind.

The United States would be more than willing--it would be proud to take up with others ”principally involved: the development of plans where by such peaceful use of atomic energy would be expedited.

Of those ”principally involved” the Soviet Union must, of course, be one.

I would be prepared to submit to the Congress of the United States, and with every expectation of approval, any such plan that would:

First--encourage world-wide investigation into the most effective peace time uses of fissionable material, and with the certainty that they had all the material needed for the conduct of all experiments that were appropriate;

Second--begin to diminish the potential destructive power of the world’s atomic stockpiles;

Third--allow all peoples of all nations to see that, in this enlightened age, the great powers of the earth, both of the East and of the West, are interested in human aspirations first, rather than in building up the armaments of war;

Fourth--open up a new channel for peaceful discussion, and initiate at least a new approach to the many difficult problems that must be solved in both private and public conversations, if the world is to shake off the inertia imposed by fear, and is to make positive progress toward peace.

Against the dark background of the atomic bomb, the United Stats does not wish merely to present strength, but also the desire and the hope for peace.

The coming months will be fraught with fateful decisions. In this Assembly; in the capitals and military headquarters of the world; in the hearts of men every where, be they governors, or governed, may they be decisions which will lead this work out of fear and into peace.

To the making of these fateful decisions, the United States pledges before you--and therefore before the world--its determination to help solve the fearful atomic dilemma--to devote its entire heart and mind to find the way by which the miraculous inventiveness of man shall not be dedicated to his death, but consecrated to his life.

I again thank the delegates for the great honor they have done me, in inviting me to appear before them, and in listening to me so courteously. Thank you.

NOTE: The President’s opening words referred to Mme. Vijaya Pandit, President of the United Nations General Assembly.

 


For further information: Atoms for Peace , The Dwight D. Eisenhower Presidential Library and Museum