ビジネス
経済政策
草創期の米国では、政治指導者はビジネス活動の規制をおおむね控えていた。しかし20世紀の接近とともに、米国の産業界は次第に強大な企業による統合が進んだため、中小の企業や消費者を保護するため政府の介入が必要になった。1890年、連邦議会は、独占企業を解体することで競争と自由な事業活動を再構築させることを目指したシャーマン反トラスト法を成立させた。1906年、議会は食品や薬品は正確にラベルが付され、肉は販売前に検品済みであることを保証すべきとする法案を可決した。1913年には政府は、国家の通貨供給を調整し、銀行業務に一定の枠を課すために新たな金融制度である連邦準備制度を創設した。
政府の役割における最も大きな変化は、大恐慌に対するフランクリン・D・ルーズベルト大統領の回答とも言うべき“ニューディール”政策の展開中に起こった。1930年代のこの時期、米国は史上最悪の経済危機と失業率に耐えていた。多くの米国人は、自由な資本主義は破綻したと断を下していた。従って彼らは、政府が窮状を緩和し、自己破壊的にみえる競争を軽減するよう期待した。ルーズベルト大統領と議会は、政府に経済に介入する権限を与える様々な新たな法律を成立させた。なかでもこれらの法律は、株式の販売を規制し、労働者が組合を結成する権利を認め、賃金や労働時間のルールを定め、失業者には手当てを高齢者には退職金を給付し、農業補助金を創設、銀行預金を保護し、テネシー渓谷大規模地域開発公社を誕生させた。
1930年代以降、労働者や消費者を従来以上に保護するために数々の法律や規制が設けられてきた。雇用主が採用において、年齢、性別、人種、信仰をもとに差別するのは法に反する。児童の就労は一般的に禁じられている。独立した労働組合は結成の権利、団体交渉権、ストライキの権利を保証されている。政府は職場の安全性や衛生規約に関わる命令を出し執行を強制している。米国内で販売される殆んどすべての製品は、何らかの政府の規制を受けている。食品の製造業者は缶や箱、あるいはジャーの中に何が収められているか正確に申告しなければならず、薬品は完璧にテストが完了するまで販売はできない。自動車は安全基準に従って作られる必要があり、排出ガス基準に適合しなければならない。商品の価格は明確につけられていなければならないし、広告主は消費者を誤った方向に導いてはならない。
1990年代初頭までに議会は、商取引から通信、核エネルギーから製品の安全性、医薬品から雇用機会に至るまで様々な分野で100以上の監督機関を誕生させていた。最近設置されたもののひとつに1966年創設の米連邦航空局があり、ここは航空会社を監督する安全規則を課している。また1971年に設けられた幹線道路交通安全局(NHSTA)は、車や運転者の安全を監視している。両者とも米国運輸省の部局である。
多くの監督機関は、大統領、また理論上は政治的圧力と無縁になるよう仕組みが作られている。これらの機関は大統領が任命し、上院の承認を受けたメンバーで構成する独立した理事会によって運営されている。法により、これらの理事会には一定期間、通常5~7年間任務を務める両政党の代表委員が含まれていなければならない。各機関にはスタッフがおり、その数はしばしば千人を超える。議会は機関に予算を割り当て、活動を監督する。ある意味で、監督機関は裁判所と同様の働きをする。裁判所の審理と似た聴聞を開くこともあり、そこでの裁定は連邦裁判所によって再審査される。
監督機関は職務上独立しているにも拘わらず、議会のメンバーはしばしば、選挙区民に代わって委員に影響力を行使しようとする。批判的な人は、企業は時に自分達を監督している機関に対し不当な影響力を有している、機関の職員がしばしば監督下の企業の通常では知りえない情報を入手している、また監督官としての職務を終えると多くがそうした企業に高給で迎えられていると非難する。しかし、企業側にも言い分がある。とりわけ企業側の批判家は、ビジネスに対処する政府の規制は往々にして成文化された途端に時代遅れになると不平をこぼしている。ビジネス環境の変化はそれほど速いのである。
— 米国国務省国際情報プログラム室出版物およびその他の政府刊行物より —
- Outlook for the Budget and the Economy – Congressional Budget Office
- Economic Report of the President – White House