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アメリカの今を知る:『ハリウッドに対するもうひとつの視点』

シェリル・アントニオ

ハリウッド映画は、米国の生活のほんとうの姿を表しているのだろうか。

シェリル・アントニオは、米国の生活は極めて多面的であり、ひとつの映画やシリーズ映画だけで表せるものではない、と言う。

シェリル・アントニオは、米国の生活は極めて多面的であり、ひとつの映画やシリーズ映画だけで表せるものではない、と言う。

ハリウッド映画のストーリーは、一部の米国人が米国で生きる中で体験したり目撃したりする生活、あるいは望んだり恐れたりする生活を描いている、という点では、答えは「イエス」である。ポール・ハギス監督の2004年の映画「クラッシュ」を例に挙げると、これは真の「米国的」な体験を描いたものであるが、それは極めて個人的な体験であり、この映画が典型的な米国の生活を表しているとは言えない。

ある映画のあるシーンの出来事が、いつかどこかで誰かに起きたことがあるとは言えるだろうが、提案される映画脚本のうち実際に映画として制作されるものはごく少数であり、さらにその中には実際に映画館で上映されないものも多いことを考えると、上記の質問への本当の答えは、残念ながら「ノー」である。

ハリウッド映画が米国の生活を真に描くことのできない理由のひとつは、最も才能ある監督たちにはハリウッド映画を作るチャンスがほとんどないことである。映画産業は多額の費用を必要するビジネスであり、映画制作にも大きなお金が要るため、多くの人たちは映画を作ることができない。また、米国に対する見方は監督によって異なり、複数の監督に同じストーリーで映画を作らせたなら、それぞれが違う形で話を表現すると思われる。

西部劇が人気を集めていたハリウッド映画の初期の時代を見てみよう。ボブ・スタムとエラ・ショハットによると、「1926年から1967年の間に作られたハリウッド映画の4分の1が西部劇であり、西部劇は何世代にもわたる米国民の情緒形成に極めて重要な役割を果たした。」西部劇はアメリカ先住民に対する一面的な見方を観衆に与えた。そして当時、アメリカ先住民が自分たちの話や米国に対する見解を伝える映画を作ることはなかったのである。

過去40年間を振り返ってみると、マーティン・スコセッシ監督のいくつかの作品は、イタリア系米国人の生活がどのようなものであるかを教えてくれたと言える。また、エイミー・ヘッカリング監督は女性の視点を、スパイク・リー監督はアフリカ系米国人に対する見方を、トッド・ソロンズ監督は米国に対する見方を、そしてジョン・ウォーターズ監督は自らの出身地であるボルティモア市について、教えてくれた。

1969年の映画「勇気ある追跡」に主演したジョン・ウェインの名前は、米国の西部劇の代名詞ともなっている。

1969年の映画「勇気ある追跡」に主演したジョン・ウェインの名前は、米国の西部劇の代名詞ともなっている。

しかし、ハリウッドが描いた米国の生活をすべて集めたとしても、それがひとつの概念としてまとまることはなく、「米国的」なライフスタイルに対する多くの見方の集合にしかならない。 

米国は数々の多様な文化の「るつぼ」である、という考え方は、さらに複雑な要素を示している。これは、米国の生活は多くの異なるものに支えられているということを表すものである。そして、「米国の生活」が単一のもので表せない以上、ひとつの映画、あるいはシリーズ映画で、米国の生活を表すことはできない、と私は考える。

映画の視覚的な要素や特徴はすべて、観客が映画のストーリーについて考え、登場人物を知る上で役に立つ。そして、ストーリーは、確かに特定の地理的な場所、国、そして文化の中で設定されているが、普通、文化はストーリーの背景なのであり、ストーリーそのものではない。

シェリル・アントニオは、ニューヨーク大学ティッシュ芸術学部のクライブ・デイビス・レコード音楽学部およびモーリス・カンバー映画・テレビ・ニューメディア研究所の副学部長。


出典: You Asked: Another View About Hollywood 

*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

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