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アメリカの今を知る: 『アメリカ先住民は自分たちの土地を管理しているのですか?』

ベン・ナイトホース・キャンベル

アメリカ先住民として初めて上院先住民委員会の委員長を務めたベン・ナイトホース・キャンベル議員は、先住民の各部族と協力して、アメリカ先住民の健康、教育、経済、主権、自治の拡張、遺産検認の改正、工芸品の保護、およびエネルギー開発に関する立法に取り組んだ。現在ホランド&ナイト法律事務所に所属し、北シャイアン族の44人の首長の一人である。政治活動以外では、キャンベル氏はアメリカ先住民の宝石デザイナーでもある。

アメリカ先住民として初めて上院先住民委員会の委員長を務めたベン・ナイトホース・キャンベル議員は、先住民の各部族と協力して、アメリカ先住民の健康、教育、経済、主権、自治の拡張、遺産検認の改正、工芸品の保護、およびエネルギー開発に関する立法に取り組んだ。現在ホランド&ナイト法律事務所に所属し、北シャイアン族の44人の首長の一人である。政治活動以外では、キャンベル氏はアメリカ先住民の宝石デザイナーでもある。

1492年にクリストファー・コロンブスが上陸するまで、北米大陸には、何千万人、あるいは1億人以上の先住民が住んでいたものと思われる。彼らには、土地を「所有」するという概念がなかった。これらの先住民にとって、土地は、彼らが生き延びるために「創造主」から与えられたものであり、彼らは創造主からのこの贈り物に感謝して、「母なる大地」を敬い、保護した。

 

ヨーロッパ人の土地に対する考え方は、これとは違っていた。長年にわたり領土をめぐる戦争を行ってきたヨーロッパの各国政府は、それぞれの国家の名の下に新しい土地を求めて探検隊を派遣した。そして、新たに「発見」した土地に住んでいた人々のことを考えようとはしなかった。ヨーロッパ人は、これらの先住民が見たこともない武器を持っており、また先住民には免疫のない病気をもたらした。

北米に到着した探検隊は、もともとインドを目指していたため、北米大陸の先住民を「インディアン」と呼び、まず彼らを奴隷とした。先住民はこれに抵抗したが、「創造主」の土地に次々と入ってくる入植者の波に対抗する力はなく、どんどん西へと押されていった。

後に、アメリカ先住民は米国独立戦争で戦い、合衆国憲法では、連邦政府、外国政府、および州政府と共に、先住民の部族政府が、4つの主権政府のひとつとして認められている。米国は、多くの先住民部族と平和条約を結んだが、これらは後にすべて破棄された。

米国の人口が増えるに従い、入植者が西部へ向かい、アメリカ先住民の狩猟地にも侵入するようになった。先住民の部族と入植者の間で争いが生じると、米国政府は、先住民を打倒し入植者たちを守るために軍隊を派遣した。政府の権力者にとって、入植者は市民であり、有権者であり、選挙区民だったからである。紙上の約束にすぎない先住民との条約よりも、有権者の力の方が大事だったのである。

戦争、病気、そして飢餓により、アメリカ先住民の人口は徐々に減少し、25万人を割るまでになった。疲れ果て、勝利の望みのない状況で、ほとんどの部族の首長は、米国政府の提示した新たな条件を受け入れた。先住民の諸部族は、辺境の荒地に追いやられ、彼らに与えられたこれらの「保留地」の中にとどまることと引き換えに、平和を約束された。保留地のほとんどは、狩猟にも農耕にも適さない土地であった。

米国政府は、アメリカ先住民には自治能力がないという見方に基づく温情主義政策を取り、アメリカ先住民に対する「監督責任」を引き受けた。この責任は、各部族の土地を守り、各部族がその土地を使用し統治する権利を保証するものである。また、各部族のために、十分な食糧、医薬品、そして教育の機会を確保するものでもある。今日、こうした監督責任を担っているのは、主として、先住民保護局および先住民衛生局である。

1887年のドーズ土地割当法により、アメリカ先住民の土地が、個々のアメリカ先住民に割り当てられた。その目的は、彼らに土地を与えて農場や牧場を営ませ、社会に同化させて、米国政府を監督責任から解放することであった。しかし、彼らに与えられた土地は農耕にあまり適しておらず、またほとんどの先住民は農業の知識がなかった。彼らの多くは、与えられた土地を先住民以外の人々に売却した。こうして、彼らの土地はますます減少したのである。

1973年にノースダコタ州ウンデッドニーで、1890年のウンデッドニー虐殺事件で亡くなった先祖の埋葬地に向けて行進するアメリカ先住民たち。  パインリッジ保留地内にあるノースダコタ州ウンデッドニーは、おそらく最も知名度の高いアメリカ先住民の保留地である。ウンデッドニーでは、1890年に、アメリカ先住民の蜂起を弾圧しようとした米国政府により、ラコタ族の首長ビッグフット以下350人が虐殺された。また、1973年にも、先住民と米国政府との武装衝突があり、このときの一連の出来事は複雑であり、いまだに完全に解決されてはいない。

1973年にノースダコタ州ウンデッドニーで、1890年のウンデッドニー虐殺事件で亡くなった先祖の埋葬地に向けて行進するアメリカ先住民たち。
パインリッジ保留地内にあるノースダコタ州ウンデッドニーは、おそらく最も知名度の高いアメリカ先住民の保留地である。ウンデッドニーでは、1890年に、アメリカ先住民の蜂起を弾圧しようとした米国政府により、ラコタ族の首長ビッグフット以下350人が虐殺された。また、1973年にも、先住民と米国政府との武装衝突があり、このときの一連の出来事は複雑であり、いまだに完全に解決されてはいない。

1924年に、アメリカ先住民は米国の市民権を与えられた。1934年には、アメリカ先住民の「ニューディール」と言われるインディアン再組織法によって、ドーズ法が覆され、多くの土地が先住民部族に返され、部族の政府が、自らの資産をより自治的に管理できるようになった。1950年代には、終焉・移住法により、何十もの部族政府が廃止され、先住民の多くが、職業訓練を受けるために都市部へ移住させられた。しかしながら、仕事を見つけられなかった人々も多く、彼らは、そのまま、故郷から離れた都会に取り残された。今日、米国の一部の都市に大勢のアメリカ先住民が住んでいるのは、このためである。

数々の政策の失敗を経て、1970年代には、リチャード・ニクソン大統領が、「自己決定」を提唱し、アメリカ先住民部族の政府が、サービス契約を結んだり、協定を結んだりすることをはじめ、自らの政務を管理する権限を拡大することを認めた。今日では、かつて人の住めないような土地と思われていた居留地に住む部族が、居留地内で石油やガスなどの天然資源を発見した例もある。また、都市部や州間高速道路やリゾート地の近くにある居留地に住む部族は、合法的な賭博場の経営に成功している。現在、アメリカ先住民の人口は200万を超える。

こうしたアメリカ先住民のサクセス・ストーリーを聞いて、彼らの生活は順調であると思う人もいるかもしれないが、経済的に成功しているのは、先住民人口の10%前後にすぎない。残りの90%は、50~80%という高い失業率、麻薬やアルコールの乱用、そして糖尿病のまん延に苦しんでいる。

状況は確かに改善されているが、まだまだ完全とは言えない。かつては、現在の米国となっている土地の100%を、1億人以上のアメリカ先住民が統治していた。今日では、その土地のわずか2%を、200万人のアメリカ先住民が統治している。米国政府が先住民の土地を「使用」したことで、先住民はこのように大きな代償を払ったのである。

こうした不公正にもかかわらず、アメリカ先住民は、極めて愛国心の強い米国民であり、米国という人種のるつぼの中でも、アメリカ先住民は人口に比して兵役に就く率が最も高い民族である。

ベン・ナイトホース・キャンベル元連邦上院議員は、北シャイアン族の44人の首長の一人で、アメリカ先住民の宝石デザイナーでもある。1993年から2005年まで連邦上院議員、1987年から1993年まで連邦下院議員、1982年から1986年まではコロラド州議会議員を務めた。キャンベル議員は、アメリカ先住民として史上初めて上院先住民委員会の委員長を務めた。また、3度にわたって柔道の全米チャンピオンとなり、1964年にはオリンピック米国代表チームのキャプテンを務め、後にはオリンピック・チームのコーチとなった。

 


*出典:You Asked: Do American Indians Govern Their Own Lands?

*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

 

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