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演劇

 今日、全米50州には1500以上の商業劇場があり、ライブパフォーマンスや教育、プロのトレーニングをそれぞれの観客に提供している。地域や地元の団体は、新たな演劇作品の開発は大都市の既成の大劇場でしか進まない訳ではないことを証明している。新しい作品は、全米芸術基金/シアターコミュニケーショングループの、脚本家が中・小の劇場向けの新作を産み出す援助をするシアターレジデンシープログラムのイニシアティブによって支えられている。例えば脚本家ニロ・クルーズはフロリダ州コーラル・ゲーブル・ニューシアターで新作「アンナ・イン・ザ・トロピクス」を創作した。文学によって暮らしが変わった1929年当時のタンパの葉巻製造業者を題材にとった彼の劇は、2003年ドラマ部門ピューリッツア賞を獲得したことで認められた。

ミネソタ州ミネアポリスーおよそ半世紀前、1951年9月、雑誌シアターアーツは“米国の劇場”とは、無論、ニューヨークの劇場のことであったと指摘した。“真価のあるものや国益といわれるものは、マンハッタン島以外ではほとんど産み出されなかったことは不運なことだ”と記事に記した。

当時でさえ、それはまったく正しかったわけではない。1947年以来、マーゴ・ジョーンズという名の興行主がテキサス州ダラスの自分の小さな劇場で新しい劇、テネシー・ウイリアムズの「夏と煙」をしっかりと上演し始めていた。脚本家のユージン・オニールは、はるか昔の1928年に、「ラザロ笑えり(Lazarus Laughed)」を南カリフォルニアのパサディナ・プレイハウスで発表していた。

しかし、その雑誌の見方にも無視できない一面の真理があった。実際のところ、存在したものはブロードウェイであり、オフブロードウェイであった。他のどこもーボストン、クリーブランド、デンバー、ロス・アンゼルス、シカゴーにしろ、劇場は“出張中”であった。そして劇場の“出張中”の見解は、その見方を支持した。ブロードウェイの芝居やミュージカルの巡業の一座が、戦後ミネアポリスにのオーフィウム劇場にやって来た時、常連客はそれがニューヨークの産直品、言い換えれば本物である保証を要求した。

当時でさえ観客は僅かだったかも知れない。オーフィウム劇場はみすぼらしく、ロードショウ公演の水準は低下し、テレビの普及が人々を家庭内に押しとどめた。実際、50~60年後のミネアポリスに商業劇場は存在するのだろうか、と思った人さえいたかもしれない。

さて、今、1998年4月。ミネアポリス中心部のヘネピン通りを車で通ると、以前の輝きを取り戻したオーフィウム劇場にさしかかる。今ブロードウェイの話題を集めている、ウオルト・ディズニーのアニメ映画を脚色した「ザ・ライオン・キング」が、1997年半ば、ここでニューヨークに先駆けて上演された。パーカッシブダンスを通して語られるアフリカ系米国人の歴史、「ブリング・イン・ダ・ノイズ、ブリング・イン・ダ・ファンク」はミネアポリスで冬休みを過ごした。ブロードウェイで最も評価の高い作品のひとつ「シカゴ」は、その年の春、ここでツアー公演をした。20世紀初頭の米国の華やぎを描いた新作ミュージカル「ラグタイム」の国内ツアー公演一座がこの街に巡業中である。出し惜しみは一切ない。巡業の道は復活したのである。

–米国務省国際情報プログラム局出版物と米政府出版物から要約–

 

オリジナルドキュメント
    • “All America’s A Stage: Growth and Challenges in Nonprofit Theater” – National Endowment for the Arts, December 2008

 

ウェブサイト
    • playdatabase.com A database of over 12,000 plays, 5,000 writers, and 300 monologues
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